<18号 募金だけで終わらせるのではなく>

先日品川駅行内を歩いていると、募金活動をしている学生達を見かけました。

待ち合わせをしていたので、その光景をすこし眺めていました。

そこでは一人の学生が一生懸命通行人に向かって訴えかけています。

その姿に感化されてか何人かの人が募金していました。

この光景はよくあるもので、一見何の違和感もないものだと思います。

しかし自分としては少ししっくりこないものがありました。

そこでしっくりこないのだろう?ということを考えてみました。

その理由は、スピーチをしている人以外は募金箱を持って立っているだけというものかもしれません。

スピーチをしている人は熱心に今の現状について語っています。

しかしそれ以外の人はただ立っているだけで、募金してくれる人がいるとみんなで「ありがとうございます」と言うだけだったのです。

自分は少しの間しか見ていなかったので、順番にスピーチの人が交代しているのかもしれません。

だとしても何だかグループ内での温度差を感じてしまったのです。

これは、自分が募金をしない後ろめたさを隠すための理由づけをしているだけなのかな?とも思いました。

そこで待ち合わせをしていた友人にも募金について聞いてみました。

すると友人はまた自分にはない視点で言ってくれました。

それは、「募金したお金がどこに寄付されるのかわからないから
私は募金しない」ということ。

また「募金したお金が本当に寄付されているのかもわからないからね」

ということです。

これまた至極もっともな話だなぁと思いました。

募金して終わり、ではなく、募金がどのように使われているのか、
までを考えることも募金者としての務めなのかもしれないと思いました。

また自分としては、募金するとしても少額のお金なので、お金の寄付先まで
考えたこともなかったです。

一万円が落ちていたら拾うけど、一円なら拾わないかもしれない。

同じお金なのに自分で価値を決めてしまっている。

お金に対しての自分の考えの甘さを感じました。

一銭を笑う者は一銭に泣く

(わずかなお金を粗末にする者はわずかなお金のなめに泣くことになるということ。
わずかなお金も決して粗末にしてはならないという教え。)

ということわざがあるように自分のお金を大切にしたいと思いました。

しかし、友人と最後に共通して言った言葉が同じだったのが一番嬉しかったです。

それは、「お互いにもっと成長して、自分の影響の範囲を広げ、
自分達が出来ることで社会に貢献していきたいね」ということ。

募金だけして後は人任せ、ということではなく
自分でいかに周りに人達を幸せにできるのか、ということ追及していくことのほうがしっくりくる。

そのためにも自分の軸をしっかりと持ち、日々成長したいと思ったものです。

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