ダイアログ・イン・ザ・ダークに参加してきました。
ダイアログ・イン・ザ・ダークは、
暗闇のソーシャルエンターテインメントです。
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暗闇の中の対話。
鳥のさえずり、遠くのせせらぎ、土の匂い、森の体温、水の質感。
足元の葉と葉のこすれる枯れた音、その葉を踏みつぶす感触。
仲間の声、乾杯のグラスの音。
暗闇のあたたかさ。
参加者は完全に光を遮断した空間の中へ、グループを組んで入り、
暗闇のエキスパートであるアテンド(視覚障害者)のサポートのもと、
中を探検し、様々なシーンを体験します。
その過程で視覚以外の様々な感覚の可能性と心地よさに気づき、
そしてコミュニケーションの大切さ、人のあたたかさを思い出します。
これまで、全世界32カ国、130都市以上で開催され、
2015年現在で800万人を超える人々が体験したこのイベントは、
1988年にドイツで、哲学博士アンドレアス・ハイネッケの発案によって生まれました。
日本では1999年11月に初めて開催され、
現在は東京・外苑前の会場と大阪「対話のある家」を中心に開催中。
これまで約16万人が体験しています。
(公式HPより引用)
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■完全な闇というのを日常生活で味わうことは実はほとんどないと思います。
都心ならば必ず街灯があるし、田舎ならば月明りがある。
自分がどこにいるのか、数メートル先にいるはずの仲間がわからない、
そんな状況である完全な暗闇というのは全く初めての体験でした。
90分の体験を終えて思ったことは、
・時間の感覚がわからない
・どれだけ視覚の影響力は大きいのか、ということでした。
■完全な暗闇だと時間の感覚がわからなくなります。
自分の感覚だとまだ40分くらいしか経過していないかな、
と思っていたら、すでに80分くらい経過していたということがありました。
普段私は、時間は時計を見て認知します。
だから見えない状況になると感覚のみで判断しなければならなくなります。
正直その感覚を日常生活であまり使っていないため、うまく使えないのです。
盲目な方はその感覚を研ぎ澄ませているのでしょう。
だから見えなくてもわかることがあるのです。
また、アテンドの方が言っていたことでとても印象に残っていることがあります。
それは
「見えなくてもわかることがある。
ならばなぜ見ることでわかろうとするのか?」ということ。
普段から見ることが当たり前になっていて、
見ることで多くの物事を判断している自分にとってはとても新鮮な話でした。
■良いのか悪いのか、私は普段の多くのことを視覚を使って判断しています。
時間を知るのも視覚。
食事を選ぶのもメニューを見て判断するという視覚から。
仕事の出来を判断するのも資料やプレゼンテーションという視覚から。
相手の印象も顔や表情や身だしなみという視覚から。
多くの情報を視覚に頼って収集しています。
悪くはないと思います。ただ視覚だけに頼りすぎるのは良くないとも思います。
■暗闇の体験でほとんどが知らない人達とグループになります。
暗闇の中でのかかわり方で、この人リーダータイプだな、この人はあまり積極的ではないのかな、
そんな風に思っていても、いざ終了後に顔を見てみると、印象と違うということがありました。
この印象、果たしてどちらが正しいのでしょう?
暗闇で視覚という大事な感覚を閉ざされている分、
もしかしたら取り繕うということができず
そこにはその人の本性がでるかもしれません。
そう考えると、視覚から受ける印象と他の感覚から受ける印象では
他の感覚から受ける印象のほうが正しいのかもしれません。
「視覚は惑わされやすい。」
だからこそ視覚に頼りすぎるのではなく、視覚だけを信じるのではなく、
自分自身がもつすべての感覚を研ぎ澄ませて判断することが必要になります。
■特に多くの情報が氾濫する今の現在においては、
一見するととてもうまく装飾された物事がたくさんあります。
スマホの普及はとても多くの情報収集をスムーズにしてくれました。
斬新なCMを見ると購買意欲がわいてきます。
見ているだけだとそれに流されてしまうかもしれません。
本当に必要なもの、大切なもの、大事なものは何なのか?
それはもしかしたら「目を閉じる」ことから始まるのかもしれません。
「眼で」みる
のではなく、
「感じて」みる
ことでわかるかもしれません。
「何となく~」といった感覚で判断することができるかもしれません。
そういった感覚を磨くためにも、自分が日頃一番使っている感覚以外の感覚を磨き、
信頼していくことが求められるのではないでしょうか?
まずは「目を閉じて」
「感じてみる」
ことから始めてみてはどうでしょうか?