<39号 コミュニティーが持つ空気感>

場の空気感ってありますよね?

特にそのコミュニティー独自の空気感というもの。

好きな事でつながっているコミュニティーならばそういった感じ。

またある目標を同じくしているコミュニティーなら
どう達成するかを共有するという空気感。

いったい人はどういった空気感をもつコミュニティーに属していたいのでしょうか?

■自分は読書が好きです。

そのため読書会に行ったりもします。

ただ本が好きな人達が集まるコミュニティーの空気感に
違和感を感じることがあります。

何か自分が求めているものとは違うのです。

そこにあるのはある種オタク的な空気感。

しかし自分が求めているのはそういった空気感ではなく、本をツールとして
つながり合える関係性。

つきつめると同じ意味なのかもしれないが、自分としては感じるものが違うのです。

うまく言葉に出来ないのが残念です。

■一方で、同じキャリアカウンセリングの資格取得に向けて勉強する仲間との
コミュニティーはすんなり入れます。

もちろん中には資格取得に向けての温度差があるので、
日頃の勉強に向けての意識の差はあります。

またコミュニティーの関わり方とか。。

ただそれは個人の問題でもあるのでしょうがないと諦めます。

しかし、このコミュニティーには属していたいと思うのです。

上記の例のようにあるコミュニティーに属していたいか
否かを感じる違いはどこにあるのでしょうか?

■例えばそのコミュニティーで学べる内容はとても素晴らしいが、
共に学ぶ仲間とはしっくりこない。

この人達とは仲良くなれない、

むしろなりたくないといった感じがすることがあります。

場の空気感を作るのは、その場にいる人です。

だからその人達が考えていることが自分に合う、合わないというのはあると思います

これは波長があう、合わないということだとも思います。

人々がその場所が心地よいと思うには、そこに集まる人々に共通する何かが
あるのだと思います。

心地よいと思える何かが。

それは価値観なのか、興味なのか、考え方なのか、スキルなのか
人それぞれかもしれません。

少なくとも自分にとっての重要視する部分は、
集まる人の価値観です。

このコミュニティーで共に成長したい、共に達成したい。

そしてそのためには応援、協力を惜しまないという
価値観を持つ人達がいること。

そのような自分が一番落ち着けるコミュニティーがある
ということは本当に素敵なことだと思う。

■その一方で、自分が落ち着けるコミュニティーが慣れによるものだと少し
意味が違うかもしれないと思うのです。

気心しれた仲間がいるという意味では良いが、
慣れによる惰性だとこれ以上の成長は望めないかもしれないからです。

脳は変化を嫌います。

変化に対して人は不安に感じることが多々あります。

変化すると平穏・安全が保たれないと思ってしまいがちです。

これは、脳には現状維持機能があるからです。

本当は、物事や自分自身は常に変化しているのですが、
安定しているように感じるのは、
その脳の機能のおかげでもあるのです。

そのため、自分にとって「悪い」変化だけでなく
「良い」変化にまで不安に感じます。

ですから、自分で知覚できる位の変化の訪れを
予感すると不安になってしまうのです。

それが、自分にとって良い変化であってさえも。

■そのため多少違和感を感じるくらいが、
自分がより成長するためには必要な環境であると思います。

それが違和感でなくなり、当然のように慣れてくるということは、
自分自身が成長したということなのだから。

ただこのコミュニティーは何だか合わないという違和感と、
自分がまだこのコミュニティーのレベルに達していないことからくる違和感が
あります。

この違いはしっかりと見極める必要があります。

そのため常に現状に満足することなく、人とのつながりは大切にしながら
新たな出会い、成長を求め、
自分の価値観をしっかりと持ち、共有共感しながら
環境形成をしていきたいと思うのです。

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