<42号 ドラマ「無痛」から学ぶこと>

昨日はフジテレビで放送中の「無痛」というドラマを見ていました。

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(HPより引用ここから)

住宅街の片隅で小さな診療所を営む為頼英介(西島秀俊)は、
患者の病気を外観から見ただけで判断出来る特殊な能力を備えていた。

それは一見、素晴らしい能力なのだが、
為頼には手の施しようがない患者までわかってしまう。

そのため、為頼は自身から見れば無駄な治療を施す医学界の一線から退いていた。

その研ぎ澄まされた観察眼は、為頼に犯罪者特有の〝犯因症〟も見せてしまう。

(引用ここまで)
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■恐らくこのドラマのテーマは、

まったく痛みがない「無痛」は理想の医療であるか否か
ということだと思う。

病気で苦しむという痛みは人から活力を奪う。

さらには見ている周りをも苦しめる。

完全に痛みがない状態があれば、みんなが幸せになれるということを
追及していくのだ。

■その一方で、治療方法がない患者の中に、無駄な治療は受けないという
人がいた。

薬の量を増やせば痛みを抑えることができる。

しかしその反動で感覚が麻痺し、考えること、感じることが出来なくなっていく。

それは周りとの触れ合いを断絶することになるとし、
痛みを受け入れている。

「痛みがあるからこそ人間らしい」

そういう言葉を残していた。

■このドラマを見ていて、人生についてもとても重なる部分があると思う。

日常生活において何の悩みや試練がない人はいないと思う。

誰もが何かしらの苦痛を抱えていると思う。

それは、
「人間関係からくる悩み」かもしれない。

「金銭的なものからくるつらさ」かもしれない。

「仕事上のトラブルから出てくる試練」かもしれない。

「先行きが不透明なことからくる不安」かもしれない。

「年を取るにつれて感じる健康上の悩み」かもしれない。

こういったすべての悩みや不安がなくなればいいと思うかもしれない。

そうすれば毎日穏やかに暮らせると思うから。

しかし、こういった不安や恐れがあるからこそ、
ちょっとした喜びや幸せを感じることができるとも思う。

「不安」があるから「安心」を感じることができる。

「困難」があるから「容易」を感じることができる。

「欠点」があるから「美点」を感じることができる。

「苦痛」があるから「快楽」を感じることができる。

「試練」があるから「達成」を感じることができる。

「憎しみ」があるから「愛」を感じることができる。

「危険」があるから「安全」を感じることができる。

「動揺」があるから「安定」を感じることができる。

「危惧」があるから「安堵」を感じることができる。

さらにすべてが満たされた状態ということに慣れてしまうと、

「もっと良く」

「もっと多く」

「もっと幸せに」

という際限のない「もっと」を渇望してしまうと思うのです。

■こういったマイナスでネガティブな要因があるからこそ、
明るくて楽しいことを感じられるのです。

こういった相反する要因に振り回されつつも
毎日をがむしゃらに生きていく。

それこそが人間らしいのではないでしょうか?

それこそが日常生活を「充実している」と感じることができるコツ
なのではないでしょうか?

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