<135号 先生が教えることは学問だけではない>

昨日は山梨県内の大学を訪問していました。

そこで、初めてとある専門学校を
訪問したのですが、

そこで就職担当をしている
先生がとても印象に残ったので、
少しお伝えしたいと思います。

■まず名刺交換をしたのですが、
名刺の左下に

「糸」

という文字が書かれていました。

話を聞いていくと、
これが先生の今年のテーマだというのです。

これは世阿弥が「無心の芸位」から発言する
最深の意識のはたらきを操り人形の糸にたとえて
いるというのです。

興味を持ったので、少し調べてみました。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

「操り人形は、いろいろ動くように見えるが、
ほんとうに自分で動いているわけではなく、
操っている糸のしわざである。

人生もまたそうであって、
この糸が切れた時には崩れ落ちてしまうだろう」

「能においても、いろいろな演技は、
作り物の人形であり、

これをつないで動かす糸にあたるのが
演者の心だ。

この心を人に見せてはならない。

もし見せてしまえば、
それは操り人形の糸が見えてしまう
ようなものだ。

心を糸にして、人には気づかせないようにして、
すべてのわざ(万能)をつながなければならない。」

『世阿弥花の哲学』より抜粋引用

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

先生は、剣道を続けているということで、

自分を律する「糸」を持ち、
それを相手に見せず、
間合いを測りながら仕掛ける

ということを目指していきたいとの
決意の表れだというのです。

この自己紹介からして、
とても面白そうな先生だと思いますよね(笑)

その後も、仕事の話はさておき??
先生の学生に対する想いや、
就職に関する考え方を聞くことが出来たのです。

■「特に専門学校の学生は、
資格を取るということもあり、
専門的な勉強を行います。

しかし、

「専門バカ」と「専門家」とは

違うと思うんです。

「専門バカ」は単に視野が狭くなってしまし、
他の情報には目もくれない。

しかし
「専門家」というのは、

多くの情報や知識の中から、
取捨選択して、特化しているから
持っている視野の広さが違うと思うんです。」

「だから雑学というものを
学生には知ってほしいんです。

学校での授業は、知識が整理されており、
道筋にそって体系立てて学ぶことができます。

一方雑学とは、
多方面にわたるまとまりのない知識や学問であり、
学問とは関係のない雑多な知識です。

このように
集められた知識は、お互いに関連性が希薄な事柄で、
全体としてみて系統立っていないです。

ただ、だからこそ多くの知識や情報を持ち、
人間味あふれる大人になって欲しいと思うんです。」

先生は授業でも、授業の内容の話だけでなく、
いろいろな雑学的な話もしているみたいです。

学生にとっては、
聞いている今は何も思わないかもしれないが、

後々、何かのきっかけに
こういった先生の言葉を思い出すものだと
思うのです。

それが教育だと思うのです。

即効性のあるものではなく、
人生を過ごすなかで必要な時に
思い出すようなもの。

先生という仕事は大変だけど、
やりがいもあるのだろうと思うのです。

■他にも就活中の学生に対する想いも
聞くことができました。

その中で、今後は私(神田)も伝えたい
と思ったことがあります。

就活中の学生に、

「やりたいことが見つかりません」

「自分が何をしたいのかわかりません」

と相談してくる人は大勢います。

ただ、それは当然のこと。

経験が少ないし、知識も少ないです。

それは悪い事ではないのです。

人と比べる事でもないのです。

それは例えると、
風鈴の数が少ないだけ。

風鈴がつるされていて、
そこを風が通ると

「チリーン」

と鳴るけれど、

そもそも風鈴の数が少ないから、
風が通ってもならないのです。

社会に出て、仕事をしてみて、
多くの人と関わる中で、

少しずつ自分の感性という
風鈴の数が増えてきて、

色々な出来事や周りからの影響という
風の勢いもでてきて始めて、

風が通った時に風鈴の音が響くのです。

まさに
心の琴線に触れるが如く響くのです。

だからあまりやりたい事にこだわりすぎず、
今の時点でベストだと思える仕事を
探そうと言いたいと思うのです。

■また、一方で必死に動きすぎている
学生に対してもアドバイスがあります。

それは、
スピードを出しすぎていると
視野が狭くなってしまうということです。

高速道路で車を運転していても、
スピードが出てくると視野が狭くなって
きます。

それと同じように
がむしゃらに前だけを見て行動していると
視野が狭くなってきてしまい、

「正しい方向」に向かっているのか、
「正しい行動」をしているのか

ということがわからなくなってしまいます。

そんな時は、「正」という字を
よく見てみましょう。

「正」という字は、

「一度」「止まる」と書くのです。

一度止まって、
周りを見まわし、
自分について考えてみることが
必要なのです。

そこで始めて今の行動が

「正しい」のか判断できる
ということなのです。

■久しぶりに先生って凄い(笑)
と思える出会いだったのです。

私(神田)も、
会う人に「凄い」と思われるような人間に
なりたいと思うのです。

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