<176号 自身の中にある辞書の言葉の定義に気づく>

ここ最近ですが、まだまだ体調悪いです。。

ここまで長引くと、考えることがあります。

それは、

「無理しすぎているのかな?」

ということにです。

「ちょっと休んだほうがいいかな?」

と思うのです。

でも時間が有限である以上、
もったいないような気もするのです。

■基本的に、私(神田)には、
土日だから休みという感覚はありません。

土日は平日にできない勉強をしたり、
セミナーに行ったり、
人と会ったりと予定を入れるようにしています。

それは、何の予定もないと
ダラダラ1日を過ごしてしまうことが
わかっているからです。

意気込みだけだとできないことが
わかっているので、
強制的にでも予定を入れるのです。

いかに自分だけの決意の力が弱いことか(笑)

そんな考えをしているからか、
自分の中にとある一つの定義ができている
ことに気がつきました。

それは、

「休みとは後退である」

ということです。

もしくは、

「休みとは衰退である」

というものです。

この定義があるから休みたくない、
休むことに抵抗がある

ということに気がついたのです。

■しかし、この休みの定義、
確実に私(神田)だけの定義ですよね?

恐らく世間一般の人の定義とは
違うと思います。

多くの人は、

「休みとは、休息である」

「休みとは、趣味の時間である」

「休みとは、家族と過ごす時間である」

「休みとは、充電である」

「休みとは、遊ぶことである」

「休みとは、デートをすことである」

といったものではないでしょうか。

だとすると、

休みはたくさんあったほうがいい、

そう思うのは当然ですね。

一方で、私(神田)のような定義だと、

休みは無くてもよい、

そう思うのもわかっていただけると思います。

■誰しもこのように自身の辞書に
言葉の定義を持っています。

ただほとんどの人が無意識で使っています。

私(神田)も体調不良が続いたからこそ
気がついたのです。

今回の言葉の定義からもわかるように、
この自身の辞書は自分の人生の方向性を決める
強力なものです。

無意識だからこそ、
気づかないうちに行動の方針を決めているのです。

だからこそ自分がどんな定義を持っているかは
知っておくことが望ましいのです。

■とはいえ、この自身の辞書の定義を
そう簡単には見つけることはできません。

何せ無意識ですから(笑)

一番簡単なのは、

相手とある言葉についての定義を
確認しあうことだと思います。

相手が○○だと思っていても、
自分は□□だと思っている、

ということがわかりやすいです。

もしくは、
自分の考えを文字にすることです。

日記やブログで日頃の考えを綴っていると、
きっと自身の考えや行動の癖
というものが見えてくると思います。

私(神田)がこうして毎日、
文章を連ねるのも、

自分がその日考えたことを忘れないように
するためです。

そして自分の思考の癖を見出すためでもあります。

または書くことで自戒を促すこともあれば、

自分の決意を新たにするということもあります。

そうしたものを文字で表すことで、
読んでくださる方々に何かしらのきっかけが
提供できればと思っているのです。

皆さんにもある自身の辞書。

どんな定義があるでしょか?

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