ここ最近ですが、まだまだ体調悪いです。。
ここまで長引くと、考えることがあります。
それは、
「無理しすぎているのかな?」
ということにです。
「ちょっと休んだほうがいいかな?」
と思うのです。
でも時間が有限である以上、
もったいないような気もするのです。
■基本的に、私(神田)には、
土日だから休みという感覚はありません。
土日は平日にできない勉強をしたり、
セミナーに行ったり、
人と会ったりと予定を入れるようにしています。
それは、何の予定もないと
ダラダラ1日を過ごしてしまうことが
わかっているからです。
意気込みだけだとできないことが
わかっているので、
強制的にでも予定を入れるのです。
いかに自分だけの決意の力が弱いことか(笑)
そんな考えをしているからか、
自分の中にとある一つの定義ができている
ことに気がつきました。
それは、
「休みとは後退である」
ということです。
もしくは、
「休みとは衰退である」
というものです。
この定義があるから休みたくない、
休むことに抵抗がある
ということに気がついたのです。
■しかし、この休みの定義、
確実に私(神田)だけの定義ですよね?
恐らく世間一般の人の定義とは
違うと思います。
多くの人は、
「休みとは、休息である」
「休みとは、趣味の時間である」
「休みとは、家族と過ごす時間である」
「休みとは、充電である」
「休みとは、遊ぶことである」
「休みとは、デートをすことである」
といったものではないでしょうか。
だとすると、
休みはたくさんあったほうがいい、
そう思うのは当然ですね。
一方で、私(神田)のような定義だと、
休みは無くてもよい、
そう思うのもわかっていただけると思います。
■誰しもこのように自身の辞書に
言葉の定義を持っています。
ただほとんどの人が無意識で使っています。
私(神田)も体調不良が続いたからこそ
気がついたのです。
今回の言葉の定義からもわかるように、
この自身の辞書は自分の人生の方向性を決める
強力なものです。
無意識だからこそ、
気づかないうちに行動の方針を決めているのです。
だからこそ自分がどんな定義を持っているかは
知っておくことが望ましいのです。
■とはいえ、この自身の辞書の定義を
そう簡単には見つけることはできません。
何せ無意識ですから(笑)
一番簡単なのは、
相手とある言葉についての定義を
確認しあうことだと思います。
相手が○○だと思っていても、
自分は□□だと思っている、
ということがわかりやすいです。
もしくは、
自分の考えを文字にすることです。
日記やブログで日頃の考えを綴っていると、
きっと自身の考えや行動の癖
というものが見えてくると思います。
私(神田)がこうして毎日、
文章を連ねるのも、
自分がその日考えたことを忘れないように
するためです。
そして自分の思考の癖を見出すためでもあります。
または書くことで自戒を促すこともあれば、
自分の決意を新たにするということもあります。
そうしたものを文字で表すことで、
読んでくださる方々に何かしらのきっかけが
提供できればと思っているのです。
皆さんにもある自身の辞書。
どんな定義があるでしょか?