<192号 目を背けたい現実を受け入れる。その先にあるものは・・・>

資格試験の結果がでて、早くも1週間が
経とうとしています。

やはり時のチカラは偉大なもので、
結果を知った当初よりは

現実を受け入れ、
気持ちも落ち着いてきました。

ただ、そのことを思い出すと
まだ心の底がざわざわします。

ということは、完全には
受け入れられてはいないんですね(笑)

しかし、これ以上気持ちがふさぎ込んでいても、
これ以上消沈した気持ちに浸っていても、

あまり良い事はないので、
そろそろ前を向きたいと思います。

ちょうど4月1日は新たなスタートをきるために
とても適した日です。

■そこで前を向くために一体何をすれば
よいのでしょうか?

ちょっと振り返りながら
ここ数か月を総括しようと思います。

そして、落ちてよかった理由を
記したいと思います。

落ちてよかった理由なんてあるの?
そう思うかもしれません。

実際は、受かればそれに越したことは
ないと思います。

ただ、受かっていたら

それはそれで本当に、
失っていたものもあると思うのです。

それが本当に納得できるものならば、

そしてその理由が、
他者を納得させられるくらいの
ロジックがあるものならばどうでしょう?

自分自身も納得せざるを得ないと思いませんか?

そうなのです!

自分が納得できる解を出せばよいのです。

たとえ事実がネガティブな事象であっても、

その事実をネガティブに捉える必要はなく、
自分が納得できる解釈をすればいいのです。

言葉でしっかりと塗り固め、
あたかもそれが当然の帰結だと
思えるようになるまで
思考の武装で強化していけばいいのです。

何か悪いことがありますか?(笑)

■最も無意味なことで、
多くの人に当てはまることが

自分の悪い出来事や事柄について

「文脈を拡大すること」

だと思うのです。

・何がダメだったんだろう?
・どこが悪かったんだろう?
・どうすればよかったんだろう?

このように考えていると、
文脈が拡大してしまいます。

しかも悪いほうに。

例えば、資格試験に落ちた際は、

・やっぱりオレってダメな人間だなあ。。
・私はこの資格にふさわしくない人間なんだ。。
・自分には能力がないんだ。。
・何をしても上手くいかない人生なんだよな。。
・生きているのが恥ずかしいよ。。
等など。

最初は点だった事象が、

ただ単に資格試験に落ちただけという一つの出来事が、
自分の人生という大きなものに拡大していくのです。

だからこそ、変な方向に行かないように、
自分でコントロールする必要があるのです。

■だからコントロールするためにも、
自分が落ちてよかった事を記したいと思います。

その一つ目の理由は、

実際に資格取得したら、
それに安心しきっていたと思うのです。

そしてもっと勉強がしたいと思い、
売上をたてるということより、
学ぶことに注力していたと思うのです。

実際、私(神田)は、
学ぶことが大好きです。

新たな知識を得ることに
満足感や充実感を感じます。

それは、それでいいことだと思うのですが、
その学んだ事をどう活かすのか?
ということに関してはあまり考えていません。

今、フリーで働いている以上、
お金を稼ぐということは
とても重要なな事です。

生きていく上で必要なのですから。

そして、自分の価値を社会に貢献し、
その対価としてお金をもらうこととする

と決めた以上、売上をあげるということは
アウトプットが必要になります。

学びをインプットし、

それをアウトプットし、
その対価として代金をいただく。

この循環が必要になるのです。

インプットだけでも、
アウトプットだけでも適切な循環に
ならないのです。

特に学ぶことが好きな自分は、
意識しなければインプットのみを
ひたすら続けてしまうのです。

だから、
資格試験に受からなかったからこそ、

インプットのみの一方通行を辞め、
アウトプットに勤しむことができるのです。

このように自分の癖を
破るためのきっかけになるのです。

■二つ目の理由は、

キャリアカウンセリングの資格という枠に
とらわれていたことに気づいたことです。

確かにキャリアカウンセリングは
自分がやりたいことでした。

ただ、人と関わり、
人の支援ができる方法は、
もっと数多くあります。

そのため、
自分の進むべき方向を狭めていた
ということになると思うのです。

自分の可能性を閉ざしていたかも
しれないのです。

■私(神田)は自由なのです。

捉われるものは何もないのです。

資格試験のため、
試験管に見られると緊張する、

そんなことで緊張する必要があるでしょうか?

そもそも自分の人生を
他人に判断されるものは必要ないのでは?
と今では思うのです。

自分は自分が正しいと思う生き方をする。

周りの人から評価される生き方はしない。

■そもそも人に雇われるという生き方をやめ、
自分で生きるという選択をした自分が、

なぜ一つの機関が判断基準をもつ資格
を得ようとしたのだろうか?

資格を得て、他人から評価される生き方を
したかったのだろうか?

いや違う。

矛盾している気がする。

資格を取得して安心して安定した生き方を
望んだわけではない。

自分が楽しい、正しいと思える道を進み、
自分だけの人生を生きることを選んだのだ。

その矛盾が具現化したのが
不合格という結果なのかもしれない。

とすると不合格という結果は、
自分の生き方にとってはしかるべき結果
ということになる。

不合格という結果があるからこそ、
本当の自分の進むべき道に気づけたのでは
ないだろうか?

不合格という結果を真摯に受け止めたからこそ
本当の自分の気持ちに向き合うことができ、

打算と感情の齟齬に気づくことができた
と思うのです。

■こうして書けば書くほど、
その通りだと思えるようになってきました。

自分の気持ちに向き合うために
自分の気持ちを文字化する。

文字化するからこそ、
思考が整理され、気持ちも落ち着いてくる。

思考が整理され、気持ちが落ち着くからこそ、
今の現状をありのままに受け止められ、
先に進むために未来について考えることができる。

未来について考えるからこそ、
その考えを実現するために
新たな一歩を踏み出せることになる、

今では本当に心からそう思うのです。

そう思えるようになったのです。

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