ふと、手にした本でとっても共感できる部分があったので、
すこしご紹介♪
「生きているのではなく、生かされている」という感覚は人間を大きくさせる
それは『神様に一番近い動物』
水野敬也著です。
その中の一節にこんな文があるのです。
『牛は、植物に命を分けてもらって生きていくことができます。
だから植物に感謝し、感度もよく噛んでいただきます。
そして、分けていただいた命を、今度は、必要をする者たちの
ために差し出すのは自然なことだと思います。
しかし、人間たちは、そのことを知らないのです。
そのときの気分で命を奪うことができてしまうから、
必要以上の命を奪ってしまうことになるのです。それな、牛にとっても、そして何より、人間たちにとっても
不幸なことだと思います。なぜなら、彼らは牛がしているように、植物を愛することが
できていません。太陽の光を、水を、土を、空気を、愛することができていません。
彼らは、命のつながりを意識することができていないのです』
■これは、明日殺されることがわかった子牛が
最後の夜に言った言葉なのです。
我々人間は、
自分達のチカラだけで生きているように
感じていると思います。
しかしそれは人間だけの視点であり、
もっと大きな視点からすると独りよがりな考えです。
我々人間も、
「生きているのではなく、生かされている」
このように言えるのではないでしょうか?
動物の命を食し、その栄養を体に取り入れることで
毎日活動でき、生命を維持しているのです。
食べることが当たり前になり、
食物に敬意を払うことを忘れてしまうと、
知らぬ間に一人で生きているような錯覚に陥ってしまう
ような気がします。
■これは決して食べ物だけでなく、
人間関係においてもそうです。
今の自分がいるのは、両親がいて、
さらには祖先がいます。
また恩師や友人や先輩という多くの人と
関わりながら育ってきました。
しかし、自分のチカラを過信すると
今の自分がいるのは、すべて自分の実力によるものだと
思ってしまうのです。
もちろん、自分の努力の成果の賜物である
ということは間違いありません。
自分が頑張ってきたから
今の自分があることも間違いではありません。
ただ、それが自分一人だけのものだと捉えるのは
あまりに寂しいと思うのです。
周りの仲間と協力し、コミュニケーションを
取りながら進めてきたこともあると思います。
そのコミュニティにいたからこそ
成し遂げることができたこともあると思います。
そのことに意識を向けずに、
感謝の意を忘れてしまうことは、
自然の大原則のである
「生かされている身である」
ということに反すると思うのです。
■必要なのは、「謙虚」と「感謝」
それを大切にし、進むことがあるべき道だと思うのです。
それを持つと人間として大きくなれると思うのです。
自分の枠にとどまるのではなく、一つ外側に意識を向けられるのです。
そんな人間としてあるべき道を思い出させてくれた
一冊の本だったのです。