257道 「生きているのではなく、生かされている」という感覚は人間を大きくさせる

生きている

ふと、手にした本でとっても共感できる部分があったので、
すこしご紹介♪

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「生きているのではなく、生かされている」という感覚は人間を大きくさせる

それは『神様に一番近い動物』
水野敬也著です。

その中の一節にこんな文があるのです。

『牛は、植物に命を分けてもらって生きていくことができます。
だから植物に感謝し、感度もよく噛んでいただきます。
そして、分けていただいた命を、今度は、必要をする者たちの
ために差し出すのは自然なことだと思います。

しかし、人間たちは、そのことを知らないのです。
そのときの気分で命を奪うことができてしまうから、
必要以上の命を奪ってしまうことになるのです。

それな、牛にとっても、そして何より、人間たちにとっても
不幸なことだと思います。

なぜなら、彼らは牛がしているように、植物を愛することが
できていません。

太陽の光を、水を、土を、空気を、愛することができていません。

彼らは、命のつながりを意識することができていないのです』

■これは、明日殺されることがわかった子牛が
最後の夜に言った言葉なのです。

我々人間は、
自分達のチカラだけで生きているように
感じていると思います。

しかしそれは人間だけの視点であり、
もっと大きな視点からすると独りよがりな考えです。

我々人間も、

「生きているのではなく、生かされている」

このように言えるのではないでしょうか?

動物の命を食し、その栄養を体に取り入れることで
毎日活動でき、生命を維持しているのです。

食べることが当たり前になり、
食物に敬意を払うことを忘れてしまうと、

知らぬ間に一人で生きているような錯覚に陥ってしまう
ような気がします。

■これは決して食べ物だけでなく、
人間関係においてもそうです。

今の自分がいるのは、両親がいて、
さらには祖先がいます。

また恩師や友人や先輩という多くの人と
関わりながら育ってきました。

しかし、自分のチカラを過信すると
今の自分がいるのは、すべて自分の実力によるものだと
思ってしまうのです。

もちろん、自分の努力の成果の賜物である
ということは間違いありません。

自分が頑張ってきたから
今の自分があることも間違いではありません。

ただ、それが自分一人だけのものだと捉えるのは
あまりに寂しいと思うのです。

周りの仲間と協力し、コミュニケーションを
取りながら進めてきたこともあると思います。

そのコミュニティにいたからこそ
成し遂げることができたこともあると思います。

そのことに意識を向けずに、
感謝の意を忘れてしまうことは、

自然の大原則のである

「生かされている身である」

ということに反すると思うのです。

■必要なのは、「謙虚」と「感謝」
それを大切にし、進むことがあるべき道だと思うのです。

それを持つと人間として大きくなれると思うのです。

自分の枠にとどまるのではなく、一つ外側に意識を向けられるのです。

そんな人間としてあるべき道を思い出させてくれた
一冊の本だったのです。

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