松下幸之助氏著の
「道をひらく」
からのご紹介です。
『断を下す』
ひとすじの道をひとすじに、ひたすら歩むということは、
これもまたなかなか容易ではないけれど、東と西に道がわかれて、それがまた北と南にわかれて、
わかれにわかれた道をさぐりさぐり歩むということは、
これも全く容易ではない。
どうしようか、どちらに進もうか、
あれこれとまどい、思い悩んでも、
とまどい悩むだけではただ立ちすくむだけ。
自分ひとりなら、長い道程、時に立ちすくむことも
よかろうが、たくさんの人があとにつづいて、たくさんの人がその道に行き悩んでいるとしたら、
わかれた道を前にして、容易でないとグチばかり
こぼしてもいられまい。
進むもよし、とどまるもよし。
要はまず断を下すことである。
みずから断を下すことである。
それが最善の道であるかどうかは、
神ならぬ身、はかり知れないものがあるにしても、
断を下さないことが、自他共に好ましくないことだけは明らかである。
人生を歩む上において、
企業の経営の上において、
そしてまた大きくは国家運営の上において、
それぞれに今一度、断を下すことの尊さを省みてみたい。
■「今後の自分の人生がどうなるのか?」
その答えを知っている者は誰もいないでしょう。
だからどの道を歩んでいけばよいのかは
誰にもわからないということになります。
では、わからないならば咲きに
進めないのでしょうか?
何もすることはできないのでしょうか?
そんなことはないと思います。
わからないからといってその場に
立ち止まっていればいいというものではないのです。
立ち止まるからこそわからないのです。
ならば、進まなければならない。
わからなくても進まなくてはならないのです。
その際に必要なのが、
「決断する」
ということになります。
■まず第一の決断は
「道を探して歩き出すか否か」
という決断になります。
ここがすべての出発点になる決断です。
迷うから止まっておくという選択肢もあります。
だからこそ本当に道を求めて歩き出すのかどうかを
自らの決断によって決めなければならないのです。
■その後の第二の決断が、
「どの方向に歩むのか」
という決断になります。
正しい道は今の時点ではわからないので、
興味の赴くままに歩んでみましょう。
自分の人生に無駄なんてありません。
違うことに気が付いたら、
進む道の方向を変えればよいだけです。
ただそれだけです。
自分が意志をもって決断した道ならば、
決して後悔の念を抱かないことでしょう。
それが他人が決めた道ならば、
不平不満がでてくるものです。
■何においても必要なのは
「自ら断を下す」
ということなのです。
そのためには日ごろから
「決断力」
を鍛える必要があります。
決断するまでの時間、
決断までの思考のフロー、
決断の量と質、
これらを意識して行うことで、
より上質な決断ができるようになります。
これは、毎日の食事のメニューや、
その日の服装など、
あらゆることで訓練できるのです。
大業なことと思わず、
日々の生活でできることから
始めてみませんか?
その積み重ねがきっと
自らの人生の進むべき道を決める決断になるのですから。