481道 「信念」と「固定観念」の違いは紙一重である

信念と固定観念の違い

皆さんには、強く秘めた想い
というものはあるでしょうか?

それは、

「決意」、「使命」、「夢」、「目標」
「価値観」、「信念」、など

様々な表現方法がありますが、
ここでは一つ「信念」と表現しておきます。

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Contents

信念とは、正しいと信じる自分の考え

皆さんには、生きるにおいて

「信念」

はありますか?

「自分はまだないんですよ~」

という方は、

もし望んでいるならば
これから見つかりますので
ご安心を!

では、胸を張って

「あります!」

と言える人には続けて質問です。

その「信念」は、本当に『信念』ですか?

それはただの『固定観念』ではないですか?

自分の枠に閉じこもっている可能性

『信念』自体はとても素晴らしいものですが、
それが『固定観念』になってしまうこともあります。

固定観念とは、
心理学の用語で、人が何かの考え・観念を持つとき、
その考えが明らかに過ちであるか、

おかしい場合で、他の人が説明や説得を行っても、
あるいは状況が変わって、おかしさが明らかになっても、
当人がその考えを訂正することのないような観念のことです。

自分だけが正しいと思っているものは、

自分で自分を縛ったり、
可能性を狭めたり、
視野を狭くし、
自分自身に囚われてしまう

ということです。

自分では『信念』と思えるものも

周りの人から見たらただの『頑固』であり、
上司から見たら『固定観念』だったりする

可能性もあるのです。

正しいことを信じるのが『信念』
正しくないことを信じるのが『固定観念』

ある文化の中にいる人にとっては
素晴らしい『信念』も

別の文化の人たちから見たら
凝り固まった『固定観念』だったりすることも
ありますよね。

また時代が変われば、

素晴らしい【信念】が

単なる『固定観念』だったり、
『狂気』だったりすることも・・・。

では、その違いは何なのでしょうか?

他流試合に出かけよう

ある一方の側面からみたら、
それはすべて『信念』なんだと思います。

同じ内容であっても、
また別の側面からみたら『固定観念』になる
のだと思います。

どちらもその立場から見たら
正しい『信念』である。

とすると、確認すべき方法は、

「他流試合をしよう!」

ということです。

つまり、自分の考えが正しいのか、
積極的に外に出て、色々な人にぶつけてみよう
ということです。

それは、同じ会社の人と話すのではなく、
別の会社の人と話をしてみようということ。

また、まったく業界が違う人や、
年齢や性別が違う人と話をしてみるということ。

そうして、まったく違う価値観をもった人と
話をしてみて、

まだ自分が絶対に正しいと思えるのなら
きっとそれは『信念』なんだと思います。

ただ、話をしているうちに、

「ちょっと自分は視野が狭かったかな」

と思えるならば、
きっと『固定観念』なのでしょう。

自分一人で判断するから
わからないのです。

他人の応援があれば確実である

なので、迷った際は、

「色々な人に考えをぶつけてみる」

ということをしてみましょう。

そうして、意見をぶつけ合い、
他の人がその考えを応援してくれるなら

それは確実にあなたの

『信念』である

ことでしょう。

決して自分よがりになるのではなく、
周りの人に認められ、応援されることで

「正しい信念」

を持ちつづけましょう。

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