628道 「幸せの基準」は高ければいいというわけではない

誰しも自分だけの基準をもっています。

基準とは、
行動や判断の拠り所となる物や数値です。

明確な基準・曖昧な基準

基準が数値で明確になっている場合はいいのです。

例えば、
自分の仕事の成果を判断する基準は
会社から売上目標値として設定されているでしょう。

この場合は、
達成、未達成ということで判断できます。

一方で、
目に見えない心理的な基準というものも
あります。

例えば、
怒りの限界の基準もあれば、
イライラする基準もあります。

悲しくて涙を流す基準もあれば、
感動で涙を流す基準もあるのです。

幸せを感じる基準もあれば、
不幸せだと感じる基準もあるのです。

こうした目に見えない基準は曖昧であり、
曖昧であるがゆえに知らず知らずのうちに

とても高い基準ができてしまって
それを超えることができず、

常に満足できない
という感覚に陥ってしまうのです。

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満足の基準を下げる

そのため、
幸せを感じたいならば、

「幸せの基準を下げたほうがいい」

のです。

あなたにとって幸せとは
どういう状況でしょうか?

例えば、

「貯金が1億円以上あって」
「会社でもいいポジションにいて」
「やりたいことを仕事としていて」
「家族との関係も良好で」
「地域貢献をしていて」

などなど
幸せという基準があったとしましょう。

この状態をすべて実現できたら、
多くの人が幸せだと感じると思います。

ただ、この基準をすべて満たすことは
現実的には難しいかもしれない
という感覚が一般的ではないでしょうか?

とはいえ、
実は多くの人が似たような幸せの基準を
無意識的に作ってしまっているのです。

経済的にも、精神的にも、人間関係的にも、
すべてを手に入れて幸せになりたい
というのは当然だと思うのです。

なので、すべてを手に入れたいと
目標として設定するには良いかもしれません。

ただ見逃してはいけないこともあります。

それは、
結局のところ我々は

「今を生きている」

のです。

今を幸せに思えない人に未来の幸せはない

なので、
今すでにあるものにも価値を感じる
べきなのです。

今という環境で幸せを感じられる
ことのほうがとても現実味のあるものです。

「今日、目が覚めただけで幸せ」
「今、おいしい食事ができて幸せ」
「今、生きているだけで幸せ」
「一緒にいられるだけで幸せ」

これが幸せの条件だとしたら、
どうでしょうか?

このような条件だったとすると、
今のあなたはとんでもなく幸せかもしれません。

こうした目の前の幸せを味わいながら、
次の幸せを目指し努力すればいいのです。

この話にあまりピンときていない人も
いるかもしれません。

そういう人は、もしかしたら
幸せの基準が既に高い可能性があるのです。

自分にとっての基準が高いから
全然ピンとこないのかもしれないのです。

なので、少しでも良いので、
幸せの基準を下げてみてはどうでしょうか?

もしかしたら楽に幸せを感じられるかもしれません。

みなさんにとって、
本当の幸せとはどんな状態でしょう?

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