670道 日ごろ何気なく発している言葉が相手にどんな印象を与えているか考えたことありますか?

「何かご用ですか?」

この質問をどう思いますか?

接客業としては普通
なのかもしれません。

用がありそうな人に
近づくための第一歩の発言としては
自然なのかもしれません。

では、何も用がない人がこう言われたら
どうでしょう?

「え~と、見ているだけです」

これぐらいしか答えられないですよね。

またその後の返答が

「そうですか」

「・・・・・」

なに?この気まずい空気。

早々に立ち去るしかなくなってきます。

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何気ない一言に違和感を感じることもある

これは昨日、実際にあった一場面です。

この一言にとても違和感を感じたので
なぜそう感じたのかを言語化してみようと思うのです。

この場面は神社です。

近所のちょっとした有名な神社があって
いつか行ってみたいと思っていて

昨日ふらっと寄ってみたのです。

正直これといった用はなかったのです。

初めて行った場所だったので、
中を探索していたら職員の方に声をかけられたのです。

職員の人からすると
特になんの意図もなく
自然にでた発言だと思います。

けど、特に用もない私にしてみれば
ちょっと困ってしまう質問だったのです。

また、場所も関係していたと思います。

神社って神様にお祈りする場所ですよね?

そこですることってお祈りくらいしか
ないと思うのです。

なのにその質問って・・・

と、私は違和感を感じたのです。

自己概念による固定化

これって、私の自己概念が関係しています。

つまり、私にとって「神社」とは、

「お祈りする場所」

という観念があるので、

「それ以外に何があるの?」

という思いになり

「そこで用があるかなんて
聞かなくてもわかってるでしょ?」

と思ってしまったのです。

これって完全に自分の自己概念がもたらす
ものです。

後々その神社のパンフレット見てみると、
結婚式の挙式をやっていたり
厄払いをやっていたりと

いろいろなことをやっているのです。

だから
人によっては用が違うので
職員の人はそう聞いてくれたのだと思うのです。

けど、自己概念が一つだった私からすると

「この人何言ってんだろ?」

と思うのです。

自分の世界は世界共通ではない

このように自己概念とはフィルターであり、
そのフィルターの色によって物事の見方は
大きく変わってくるのです。

この自己概念は自分だけのものであり、
人には見えないから厄介なのです。

自分では当たり前の言葉であっても、
人によっては怒りを誘発する言葉だったり
ショックを受ける言葉だったりするのです。

それが原因で
人間関係をゆがめてしまう可能性もあるのです。

この世の人間関係トラブルは
多くがこうした言葉の受け取り方の違いから
起こっているといっても過言ではありません。

だから、自分では当然だと思っていても
他人からするとまったくもって当然ではない

ということもあるので
日ごろから言葉遣いには気をつけたほうがいいのです。

他人の言葉から
改めて自分の日ごろの言葉に気をつけようと
思ったものなのです。

けど、神社での質問に関しては自分的には

「どうされました?」

ぐらいのほうがいいと思います(笑)

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