789道 相手のための思い配慮しすぎることは相手のためになっていないのではないか?

配慮の基準とは

相手のための思い配慮しすぎることは手のためになっていないのではないか?

障害をもっている方々の
就職支援を専門にしている人と話していたときの話です。

就職の支援をしているスタッフの人でも
ともすると障害を持っている方には

他の人にくらべ気遣いをしすぎたり
細かく介助をしたりと

「配慮をしすぎてしまう」

ことがあるそうです。

でもそれって本当に

「相手のためになっているのか」

という観点で考えると
必ずしもそうではないのです。

なぜなら、社会に出たら
配慮をしてもらえることなんて
少ないからです。

たとえ今は配慮をしてもらい
サポートを手厚くしてもらったとしても

実際に社会に出て働くと
厳しい場面に出会うことが多いことが
予想されます。

そのことを考慮せずに

「今がよければすべてよし」

の考えだと
相手のためにならない可能性もあるのです。

本当の意味での相手のサポートをするならば

「この先も一人で自立できる
サポートをすること」

になるのです。

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相手のためになる配慮とは

この話は障害をもった方のサポートだけに
限らないものだと思うのです。

部下の教育にせよ、
子どもの育成にせよ、
パートナーとの関わりにせよ、

相手の意見を尊重するだけの
一方的な配慮というのは

コチラの自己満足という側面もあって、

本当に相手のためを思うならば
キツイことも言ってあげる必要があるのです。

「相手が気づき、認め、受け入れ、
納得し、行動できるようになるサポート」こそ

本当の意味の
配慮ではないでしょうか?

そんな学びでした。

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