812道 100%の努力だけが努力として認められる

私だけの努力100%

100%の努力だけが努力として認められる

「できるだけの努力をしました!」

このように言う人もいると思うのですが、
果たしてどのような意味なのでしょうか?

「努力」

という言葉は一般的にもよく使われますが、

努力という言葉の解釈が
人によって様々なような気がします。

というのも、

「努力には程度がある」

と思っていないでしょうか?

『今回は80%も努力した』

『今回は50%しか努力しなかった』

といったように
自分の中で努力の割合を決めているのです。

果たしてその解釈は通用するのでしょうか?

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全力の本気だから得られるものがある

本当の意味の努力とは、

「100%のものしかない」

と思うのです。

100%で行うからこそ
そこから何かが生まれ、何かを吸収できるのです。

たとえ想定の成果が出なくとも
その努力の結果として得られるものが
生まれるのです。

この100%とは、
自分が注力できる100%でいいのです。

他の人からみれば全然100%では
なくとも、

自分自身が胸をはって
100%だと言いきれれば

まずはそれでいいのです。

なぜなら、努力とは人のためにするものではなく
自分のためにするものだからです。

自分の向上のための努力が
結果として周りに好影響を及ぼす

という流れが
健全な努力の順番だと思うのです。

それを全力ではなく
力半分で取り組んでいたとしたら

そこからは何も
生まれないのです。

だから自分自身が納得できるだけの
努力を尽くすことこそが

本当の意味での

「努力」

だと思うのです。

あなたは努力していますか?

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