1071道 フィリピンという異国に降り立った瞬間に思う。今までの当たり前が当たり前でないという事実

日本という国の素晴らしさ
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フィリピンという異国に降り立った瞬間に思う。今までの当たり前が当たり前でないという事実

フィリピンに着いて
空港から出るとここは日本ではないことを
実感します(当たり前なんですが)

まずは空港から出る際に
たくさんの現地フィリピンの人達がお出迎え
してくれていました。

ただ、残念なのは有効ムードではなく
カモにできそうな外国人観光客を狙ってやるぜ、

そのような
一種異様な空気感だったのですが。。。

フィリピンには貧しい人がたくさんいます。

車に乗っていても
物を売りに来る人もいれば、

歩いていると
手を出して物を要求する子どももいれば、

カタコトの日本語で
大人のお店に勧誘する人もいれば。

一般的に日本でまっとうと思われる仕事
で生活費を稼ぐのではなく、

誰かから恵んでもらって
生きていかざるを得ない人たちもたくさんいるのです。

それは
貧しさゆえに学校に行くことができず、

そのため仕事をするために必要な
知識を得ることができず

そのためまっとうな仕事ができない
という悪循環があるのです。

日本の義務教育のありがたさ

日本では義務教育というものがあって
望む望まないに関わらず教育を受けることができます。

それをありがたいと思う感覚は
おそらく誰にもないと思うのですが、

改めて異国にて
教育を受けることができないがゆえに被る
悲劇とものを目の当たりにして、

自分の環境が恵まれていた
ということを実感するのです。

今思い返すと、
中学、高校生の頃は、

「なんでこんな勉強するんだろう?」
「この勉強って意味があるの?」

と思うこともありました。

確かに使わない科目もたくさんあります。

微分積分なんて一ミリも記憶に残っていません。

でも、小学・中学時代の経験、
そして高校・大学時代の頭を使うことの経験や、

同年代の仲間達と過ごす時間というのは
誰にとっても当たり前なものではなく、

日本という国に生まれた私にとって
与えれた恩恵であったのかと思うのです。

自らが受けていた恩恵に気がついたとき、何をすべきなのだろうか?

この受けてた恩恵をどう活かすのか?

これは人それぞれに考え方、
行動の仕方があるのだと思います。

でも、豊かな国で生まれた自分と、
一方で豊かな国ではない場所で生まれた人がいる

ということを知ったとき
私はどういう役割を果たすべきなのか?

私は、今回のスタディーを
そんなことを考える期間にしたいものです。

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