1105道 映画『響 -HIBIKI-』より普通をぶち壊す生き方を学ぶ

普通をぶち壊す
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映画『響 -HIBIKI-』より普通をぶち壊す生き方を学ぶ

映画『響 -HIBIKI-』を見てきました。

主演の平手友梨奈が欅坂48のイメージ
そのままという感じでとても楽しかったです。

内容としても
単なるエンタメで終わるのではなく、
いろいろなことを感じたものでした。

ただ楽しかったでは伝わらないと思うので
私なりの感想をお伝えしたいと思います。

スマートフォン・SNSの普及により、
活字離れは急速に進み、出版不況の文学界。

そこに現れた一人の天才少女、彼女の名は『響』
(平手友梨奈)。

15歳の彼女の小説は、
圧倒的かつ絶対的な才能を感じさせるもので、
文学の世界に革命を起こす力を持っていた。

文芸誌「木蓮」編集者の花井ふみ(北川景子)
との出会いを経て、響は一躍世の脚光を浴びることとなる。

しかし、響は、普通じゃない。
彼女は自分の信じる生き方を絶対曲げない。

世間の常識に囚われ、建前をかざして生きる人々の
誤魔化しを許すことができない。

響がとる行動は、過去の栄光にすがる有名作家、
スクープの欲だけで動く記者、
生きることに挫折した売れない小説家など、

様々な人に計り知れない影響を与え、
彼らの価値観をも変え始める。

一方、響の執筆した処女作は、
日本を代表する文学賞、直木賞・芥川賞の
ダブルノミネートという歴史的快挙にまで発展していく。

公式HPより)

普通ってなに?常識ってなに?世間の評価ってなに?

主人公の響は、世間一般で当たり前と
言われている普通や常識というものを
受け入れていません。

喧嘩を売られたら買って
暴力で対抗するし、

気にくわないことがあると
すぐに殴り蹴る。

その行為自体は褒められるものではないけれど

「なぜそんなことをしたのか?」

という理由においては
確信をついていて、

納得せざるを得ない
強さというか本質があるのです。

「友達がいじめられているから守る」
「思ったことを本音で伝える」
「書きたいから書く」

こう聞くと当たり前のことかもしれません。

でも、

社会で生きていると、
年をとり、組織に属していくと、

社会や組織の色に染まっていきます。

本当に正しいことだけが正しい
というわけではないことにもぶつかります。

最初は違和感を感じていたかも
しれません。

でも社会人になるということは
社会に適応するということは、

そんな理不尽や不合理に
慣れていくということなのかもしれません。

そうして

「普通は」
「社会では」
「常識では」
「世間一般では」
「当たり前だけど」

という言葉を当たり前のように使い、
量産型の社会人になっていくのです。

そんな固定された概念にメスを入れるのが
この「響」という存在なのです。

空気を読む日本人。個人の意見を主張する大切さ

特に日本人は

「空気をよむ」

ということを美徳としている風潮が
あると思います。

会議での発言や
全員が集まっている場での立ち振る舞い、

日常の会話から
商談における発言まで、

空気をよんで
ひくところはひいて
大人の対応をする、

ということが求められます。

もちろん、
空気をよむことは組織における循環を
円滑にし、

周りとのコミュニケーションをスムーズに
することができるので

メリットがあるものです。

でも一方でそれは
個々人の「想い」や「意思」というものを
妨げることにもなるのです。

想いが生じるということは
ある種の「奇跡」です。

なぜそんな想いが浮かんだのか?
ということに理路整然とした答えを

持っている人は
少ないからです。

今まで生きてきた人生において
自分という人間が形作られ、

その課程において磨かれた
感性から生じる「想い」を発しないのは、

自分自身を殺している
ということでもあるのです。

「そんな生き方でいいの?」

この映画からはそう問いかけられている
ように感じたのです。

本音でぶつかってくるから本音で返せる

大人になると

「本音で話すこと」

を躊躇してしまうことないでしょうか?

常にクールで感情を見せないことが
ビジネスマンとしてあるべき姿だと
思っていませんか?

これは前述したことにかぶるのですが、
自分の感情を丸出しにして円滑に生きれるほど
社会は甘くありません。

社会に適応する、
組織で生きるということは、

納得できないことでも
飲み込むことを求められます。

でも、
映画内における響と凛夏のように、

本音で話すからこそ
本音が返ってきて、

本当の気持ちが分かり合える
のです。

うわべだけの気持ちに
人は何の影響も受けません。

ぶつかっていくから
ぶつかってきてくれるもの。

本当の気持ちを言えない人間に
本当のことを言わせてくれるのは

「相手のことを思う本音」

だけなのかもしれません。

そんな人と人のぶつかり合いから

「私という人間の生き方」

というものを感じさせられたのです。

どれだけ想いを掲げられるか?そして表現できるのか?

そんなに期待して見に行った映画では
なかったのですが、

予想外に?いろいろなことを
考えさせられました。

どんなにデジタル化が進んでも
人と人が関わっていく以上、

想いを伝えることやコミュニケーションからは
逃れられないものです。

濃い想いを持てる人間は強い。

さらにその想いを表現できる人間はもっと強い。

人間と人間のガチンコのぶつかり合いから生じる
物語を存分に楽しんだのです。

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