1277道 つらく苦しい経験を乗り越えたからこそ見える世界こそが

皆さんはプロのスポーツ選手を見ていて
不思議に思いませんか?

「なぜ、毎日つらいトレーニングができるんだろう?」
「なぜ、美味しいものを我慢する食事制限ができるのだろう?」
「なぜ、苦しい環境に身を置くのだろう?」

一度きりの人生において
どうしてつらく、苦しいトレーニングをするのだろうと。

スポンサーリンク
second




なぜ人はつらく険しい山に登るのか?

人が山に登る理由をご存じですか?

「そこに山があるから」

ということを言う人もいますが、
私は三輪さんのこの言葉にいたく納得します。

「登っている間は、ほんとうにつらくて苦しくて

『もう嫌だ。2度と登るものか』

と思い、頂上にいるときにその苦しさを 少しの間、
忘れられて、でも下山するときに同じ苦しさを味わう。

でもね、時間が経つと苦しかったことの方を鮮明に思い出すようになる。

それもひどい思い出じゃなくて、すばらしい思い出として。

だからこそ、人はまた山に登りたがるのです」

by美輪明宏

「強く生きるために」三輪明宏著(主婦と生活社)より

苦しい思いをして乗り越えた経験のほうが
振り返った際によい思い出になる、

というのは、誰にも思いあたる節がある
のではないでしょうか。

最も印象に残るのはつらく苦しい出来事である不思議

甘く楽しい思い出もいいものです。

でも、そうした日々はあまり記憶に残らないもの。

それよりもある時点で人生を振り返ったときに
強く印象に残り、かつ自身の成長を感じるときというのは、

「つらく苦しい出来事」

であるものなのです。

私自身、今でも

・小学4年生のときの音楽発表祭のために必死に練習したピアノ
・小学6年生のときに先生に本気で怒られたこと

はとても記憶に残っています。

大学生の時に短期留学に行って、

・現地で自ら積極的に仲良くなりにいけなかったふがいなさ

は今でも悔しい思い出です。

また、

・社会人になって1日15時間働いていたこと
・ジムでトレーニングしすぎてトイレに駆け込んだこと

などなども記憶に新しい。。

どれもつらく、苦しく、恥ずかしい思い出です。

でも、今は笑って話せます。

その出来事があったからこそ、
今の自分の価値観や行動指針が定まったとも思います。

つらく苦しい道を乗り越えた先に得られるものがある

冒頭に、なぜスポーツ選手がツラい練習に耐えることができるのか?
という質問をしました。

現在、私もジムでトレーニングをしているので
自分ならではの身体を鍛えながら練習する気持ちがわかります。

でも、それは、いくら言葉にしても
わからない人にはわからないでしょう。

その体験・経験をしたことがある人にしか
感じられないものがあるからです。

むしろその道を歩む決意をした人にしかわからないもの。

でも、だからこそ、
私自身も苦労や困難な道を歩む決意ができるのです。

だってその先に見える世界が楽しみだから。

それが私の生きる道。

それが私なりの道の歩き方。

かんだみちお: 【Project ミチテラス】 「何かを変えたい」をカタチにするクリエイター&コーチ。 自身のキャリアや展望について不透明で本気になりきれない人々に対し、 日常生活にある天然資源を最大限に生かしつつ、 日々の充実感と人生の意義へ通じる道をてらしている。