1291道 とある暖かい日にふと感じた「幸せ」。私はなぜそう感じることができたのだろう?

とある暖かい日の幸せ

とある日の朝に、

「とてつもない幸せ」

を感じた瞬間がありました。

いつもと変わらない生活なのに
どうしてこんなことが起こったのか?

自分なりに考えてみました。

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特別な何かがあったわけではない、いつもの日常で

いつもと変わらない朝です。

自転車にのって駐輪場に行き、
電車にのるために駅に向かっている最中のことです。

最近オープンしたパン屋さんから
焼きたてのパンの香ばしい香りが漂ってきました。

その香りをかいだ瞬間

「とてつもない幸せ」

を感じたのです。

「ああ、今日という日を生きていてよかった」

と。

はじめて通った道ではなく
たまに通ることもあります。

パン屋からのパンの香りなんて
過去にもかいだことはあります。

でも、その日はなぜか特別に幸せを感じたのです。

生きていてよかったなぁと感じたのです。

今日という日を迎えられたことに感謝したのです。

振り返っていつもと違うことを考えてみても、

・しっかりと睡眠をとっていた
・朝にブログを書き終えていた
・いつもより時間に余裕をもって出かけていた
・寒い日が続いた後の暖かい陽気だった

くらいでしょうか。。

何か特別に幸せを感じる要因がありますかね??(笑)

人生の質は毎日感じる感情の質

人生の質は、毎日感じる感情の質だ。

そう述べるのは、
世界No1コーチともいわれるアンソニー・ロビンスです。

私もまさに同じように感じます。

確かに

「特別な日」
「非日常なイベントの日」

はインパクトが大きいものです。

印象に残りやすいでしょう。

でも、たった一年で考えてみても、

「特別な日」と「いつもの日」を比べると

圧倒的に「いつもの日」のほうが多いもの。

とすると、
「いつもの日」で感じること、過ごし方こそが
自分の人生となるのです。

何か特別な体験をしたわけでもなく、
誰かに格段褒められたわけでもなく、

ふとした日常で

「幸せを感じられる」

ことの積み重ねが人生となるということは
紛れもない事実であると思うのです。

イライラする毎日を過ごせば
人生を振り返った際にもイライラした人生だったと思うでしょう。

毎日がハッピーであれば
ハッピーである人生を過ごせたと思うでしょう。

なんの変哲もない毎日が大事であることをしみじみと感じます。

人生はコントロールできないけれど自分の好き嫌いはコントロールできる

人生のコントロールなんて誰にもできません。

でも、自分の好き・嫌いくらいは
コントロールできるもの。

そして自分の好き嫌いを
自在に変えられるようになると、

それだけでも「人生という名の旅」を
自由で豊かに選択肢が多く過ごせるものです。

あの日、なぜ私がとてつもない幸せを感じたのか
明確な理由はわかりません。

(理由を知りたかった方には恐縮です。。)

でも、毎日という日常には幸せの種は無数にあり、
あとはそれを感じられるか否かだけではないかと思うのです。

そしてそれを感じるためには、

自分という人間をあらゆる面で受け入れているかどうか
ではないかと思うのです。

ぼんやりとした答えにはなるのですが、
でも事実、今時点で私はそう思うのです。

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