736道 気を遣っているからこそ「しない」ことも褒められるべきである

気を遣っているからこそ「しない」ことも褒められるべきである

たとえば、
忙しそうにしている上司。

聞きたいことがあるけど、
気を遣って声をかけない。

たとえば、
ちょっとイライラしている同僚。

声をかけてあげたいけども
そっとしておいて欲しいだろうと思い
声をかけない。

居酒屋でも気を遣って
忙しそうな店員になかなか注文ができない・・・

これらはすべて

「しない」

という消極的な態度をとっています。

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消極的気遣いも立派な気遣いである

一般的には、

傍観して「しない」よりは

積極的に「すべき」という
風潮が強いように思います。

声をかけないことは
冷たいだったり人に興味がないんだと
思われがちです。

でも、

「しない」

という選択をしたことも
立派な気遣いの一つだと思うのです。

「逆に空気がよめる気遣いができる人」

と捉えることもできるのです。

見えることがすべてではなく、
感じることを大切にし

「する」

「しない」

を使い分けることができるのが
本当の意味での気遣いではないでしょか?

かんだみちお: 【Project ミチテラス】 「何かを変えたい」をカタチにするクリエイター&コーチ。 自身のキャリアや展望について不透明で本気になりきれない人々に対し、 日常生活にある天然資源を最大限に生かしつつ、 日々の充実感と人生の意義へ通じる道をてらしている。