879道 迷わぬ者に悟りなし。迷うからこそ道を極めることができる

人に関われば関わるほど
自分と他人との違いが浮き彫りになる。

自分の特異性というものを
認識せざるを得ない。

とすると、会社に属して働くことや
他人が決定権をもつ環境では
自分の本領発揮は難しいのだろうか?

道を極めるということはひとりぼっちになることなのか?

それは環境次第であると思う。

そこに属する人の価値観次第であると思う。

そして最後は自身の覚悟であると思う。

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自分だけの道を極めたい。でもどうすれば極められるのか?

でも、自分の「志」を自分がトップでない環境で
表現するのは難しいのではないだろうか。

人間を

「身体、思考、感情、志」

で分類するとすると、

「志」以外の部分では問題なく社会で暮らせる。

むしろ強みというものを発揮できるかもしれない。

でも、「志」に気が付いている現状としては
未達成感を常に感じながら生きていくということになる。

それは自分にとって幸せなのだろうか?

社会とは一歩離れた環境で
生活に寄り添いながら関わるスタンスが一番よいのだろうか?

ある意味それでも強みを生かしながら生活できるだろう。

ただし、金額というか稼ぎの額は確実に減る。

それを是とするか否とするか。。。

道を極めるための職は与えられるもの?創りだすもの?

職を得る、
環境をもらう、

というのは大事なこと。

一方で
職をつくる、
環境をつくりだす、

ということは
簡単ではないが「できる」こと。

でもそれが認められて課金できるフェーズにまでいくのは
更なる困難が待ち受ける。

そのための修行である。

この最も困難な、
自分で職を創り、環境を創り、社会で地位を得る、課金させる、

ということに
挑戦している日々なのである。

だとすると
日々修行であり、挑戦である。

ちょっと困難が立ちはだかったからといって
迷い、立ち止まることは無意味である。

答えがないことに対して
道を切り開こうとしているのだ。

よもや困難しかない。

道を極めるということは決して華やかな道を歩むことではなく
泥臭く、紆余曲折しながら突き進むことなのかもしれない。

たとえ茨の道であっても道を極めることこそが使命である

あえてそんな茨の道を歩いているのが
自分という人間である。

であるならば、今のモヤモヤも仕方がないこと。

ちょっと悩んで、考えたら、もう目の前のことに注力しよう。

大きな目標である「志」を叶えるには
今ではリソース不足である。

であるならば、中期目標、短期目標を積み重ねていくしかない。

もちろん大きな先を諦めることはない。

すぐにできないからといって嘆くことも多々あるだろう。

でも、それが今の現実であって、
それから逃れることはできない。

諦めない限り、逃れられないもの。

この苦しみから逃れるためには
あきらめるしかないのかもしれない。

じゃあ諦める?

それはない。

ならこの苦しみは受け入れるしかない。

受け入れたうえで、
いかに現実世界で適応しながら生きていくかということ。

げんなりするけど仕方がない。

社会で生きるとは、そういうもの。

うん、そういうもの。

迷わぬ者に悟りなし。

ならば迷うからこそ
いつの日か悟りを開けるもの。

それが私にとって道を極めるということ。

かんだみちお: 【Project ミチテラス】 「何かを変えたい」をカタチにするクリエイター&コーチ。 自身のキャリアや展望について不透明で本気になりきれない人々に対し、 日常生活にある天然資源を最大限に生かしつつ、 日々の充実感と人生の意義へ通じる道をてらしている。