360道 マスターへの道を極める

今日はとある本からのご紹介です。

何か新しい事を学ぶ際、

それはスポーツであっても、趣味であっても、
仕事であっても、

誰しも早く上達したいと思うことでしょう。

また、

「誰かと比べて自分は上達が遅いんだよな・・・」

そのように比較して、自分にダメ出しをしていませか?

■もちろん、早くに上達すれば、
より一層やる気が出て、楽しめるかもしれません。

ただ、始めて短期間で上達することが
本当に良い事なのでしょうか?

長い目でとらえた時、別の見方ができるのではないでしょうか?

それを考える際にとてもよい話を紹介したいと思います。

■『初心禅心』(翻訳、白馬書房刊。原稿は英語版)

という本で鈴木俊隆禅師は、上達の早い者と遅い者を
馬にたとえて述べています。

「禅の経典によると、馬には4種類(最高の駿馬、ふつうの駿馬、駄馬、最低の駄馬)がある。

最高の駿馬は、鞭の影さえ見えないうちから、
騎手の意思に従ってスピードや方向を変えて走る。

ふつうの駿馬は、鞭が馬身を叩く直前になって初めて
最高の駿馬と同じように走る。

駄馬は、馬身に鞭の痛みがしみなければいうことをきかない。

そして最低の駄馬は、骨の髄まで鞭の痛みが伝わらなければ
いうことをきかない。

上手に走るための学習は最低の駄馬がいちばん難しいはずだと、
読者はおもうのではなかろうか。・・・

たいていの人は最高の駿馬になりたいと思う。

最高の駿馬がだめなら、ふつうの駿馬になりたいと思うだろう。」

鈴木師は、それは間違いだという。

あまりに簡単に覚えてしまうと、真剣に努力する気がしなくなり、
練習の核心部分まで突き進めなくなるというのだ。

「書道を研究すると、それほど器用ではない人が
一流の書家となっていることに気づくだろう。

かなり器用な人は、ある段階に達すると大きな壁にぶつかることが
多い。これは芸術であれ人生であれ、同じようなことだ。」

鈴木師によると、最高の駿馬が最低の駄馬となり、
最低の駄馬こそが最高の駿馬になるのだという。

辛抱してたゆまぬ練習を続けるうちに、真髄を学びとるからなのだ。

■この鈴木師の4種類の馬のたとえを知ったとき、
とても腑に落ちるものがありました。

これが、才能を持つ者への戒めであることは確かでしょう。

と、同時に、上達に必要な要素は
才能の有無ではないということも明言しているのです。

つまり、誰しもが継続することにより、
その道のプロとして道を極めることができるのです。

■たとえ今、芳しい結果が出ていないからといって
すぐに諦める必要はないのです。

そもそも一流となれるには、
相当の時間と練習が必要なのです。

だからこそ年数をかけて自分を磨いていけばいいのです。

たった数年の努力で
自分には才能がないとあきらめるのは間違いなのです。

■はたまた、他人と自分との上達の度合いを
比較することには何の意味もないのです。

要は長い年月をかけてでも続けていくだけの
情熱があるか否かということ。

本当に突き詰めたいほど好きかどうか。

どうしてもその道を極めたいという想いがあるか否か。
そういうことだと思うのです。

みなさんには極めたい道はありますか?

あるならばそれを続けていけば、必ずその道を極めることができるのです。

かんだみちお: 【Project ミチテラス】 「何かを変えたい」をカタチにするクリエイター&コーチ。 自身のキャリアや展望について不透明で本気になりきれない人々に対し、 日常生活にある天然資源を最大限に生かしつつ、 日々の充実感と人生の意義へ通じる道をてらしている。