423道 気をつけよう!先輩や上司といった立場にある人が気が付いていない教育上の重要事項

今日は最近読んだ本で、

「自分も日々の行動を見直さなければ」

と思ったことを紹介したいと思います。

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人は誰しも
「学習者」と「教育者」の役割がある

歳をとるにつれ、負う責任というのもは
少しづつ大きくなっていくと思います。

特に会社ならば新入社員が入り、
部下ができると仕事を教えるという
ことが求められます。

自分が会社に入った時は、
教えてもらえる側の

「学習者」

であったものの、

社歴が長くなるにつれ
今度は自分が教える側の

「教育者」

として立ち振る舞うことになるのです。

これは誰しもが通っていく道だと
思うのです。

教育者側は何を教えるのか?

教育者側の立場になるからといって
教育者になるための研修を受ける人は
あまりいないと思います。

大企業や役職につく時ならば、
そういった研修もあるかもしれませんが、

中小企業や小さなコミュニティだと
自然と教育者側の立場になっているのです。

主には、
業務内容を教える、
仕事のやり方を教える、
会社のルールを教える、

ということが多いと思います。

ただ、今回、

「リフレクティブ・マネジャー」

という本を読んで、
知らないうちに我々は、

「教えたいこと以外のことも教えてしまっている」

ということに気が付いたのです。

本の詳細は以下をご覧ください↓↓

リフレクティブ・マネジャー 一流はつねに内省する

教えたいこと以外のことも教えてしまっている

教育学者フィリップ・ジャクソンは、

教える側が、
自分が教えたいと思う内容とは別に、
無意識かつ暗黙のうちに学習者に
伝達してしまう価値観、行動様式、知識などのことを

「ヒドゥンカリキュラム」

と呼んだ。

たとえば、かつての学校教師たちが子供たちに

「男子は前、女子は後ろに並びなさい」

と命じていたとき、

その教師は「男が先で、女は後」
という価値観を子どもたちに無意識かつ
暗黙のうちに獲得させていた可能性がある。

ヒドゥンカリキュラムの概念を拡大解釈して、
企業の文脈にあてはめてみるならば、

会社の上司は、自分が部下に指導している
業務内容の他に、自身の身体、あるいは
自身のマネジメントを通じて、

「マネジャーの仕事とは何か」や
「マネジャーになることで何を得て、何を失うのか」

を暗黙かつ無意識のうちに伝えてしまっている
可能性がある。

つまり、
「会社を元気にせよ」
「イエスマンをなんとか減らせ」
「新人とカラオケで歌え」

といった理不尽な要求をされ、
半ば無意識をおぼえつつ働いている
自身のありようによって、上司は

「マネジャーとしてのつらさ」

を、部下たちに無意識かつ暗黙のうちに
伝達してしまっているのではないかと思う。

リフレクティブ・マネジャーより

雰囲気でわかってしまうもの

特に我々日本人は

「その場の空気をよむ」

ということをやらなければならない
という価値観があるように思います。

「自分の仕事は終わったけど、
周りの誰も帰っていないから
まだ会社に残っていよう」

「つまらない飲み会だけど、
みんないるから残っていよう」

「興味のない話でも、
興味のある態度でなければならない」

などなど、
自然と周りの空気をよみ
同化しようとしているのです。

そうした特技?のようなものをもっているからこそ
教えられている以外のことも読み取ってしまう
のだと思います。

発言と内心の違いはバレている

そのため、たとえいい事を口にしていたとしても、
本当に内心でそう思っていなければ、

それは相手に伝わっているということなのです。

口ではどんなに会社の素晴らしさを語っても、
心でそう思っていなければ、
それは節々からにじみ出てくるのです。

自身の態度や表情や言葉遣いは            誰かに影響を与えている

だからこそ我々は日々の行動に
注意しなければならないのです。

特に教育側である人間は、
内心と発言を一致させる必要があるのです。

会社だけでなく、
家族関係においても当てはまること
だと思います。

私は自分自身の日々の発言や行動について
もう一度振り返ってみようと思ったものです。

みなさんは、いかがでしょうか?

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