3年間毎日書き続けたブログ執筆を辞めて今思うこと「目標がなければ人は易きに流れる」

人は易きに流されるもの

以前のブログでもお伝えしたかと思うのですが、
3年間毎日書いていたブログ執筆を辞めております。

毎日書いていた習慣が無くなって
私の生活に変化がありました。

その変化について率直に思うことを
お伝えしたいと思います。

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毎日の日常に時間的余裕、精神的ゆとりがある

毎日の執筆を辞めて率直に思うことは、

「ゆとりがある!」

ということ。

単に書いている時間だけで換算すると
一日1時間くらいかと思うのですが、

その1時間だけで終わっていたわけではない
ことに改めて気がつきます。

例えば、

最適な見出しを整えたり、
書いた文章を推敲したり、
CMSに入力したり、
イメージ画像を集めたり、

などなど
周辺にてやらなければならないことがあるものです。

そのため、1時間以上ものゆとりを感じます。

その中でも特に、毎日何を書こうかの

「ネタ探し」

には常に気を張っていたようです。

というのも、やはり毎日書くとなると、
それに応じたネタ集めが必要になります。

単に仕事をするだけではネタは集まりません。

色々なメルマガに登録して
参考になるような情報を集めたり、

ニュースで気になったキーワードを
深掘りしてみたり、

本を読んで思考のプロセスや
筆者の意見を集めたり、

などなど

「常にアンテナを立てること」

は意識的に、かつ優先的にしていたものです。

それをしなくてよいということ、
ある種の締め切りや緊張感から解き放たれたことが、

意識していなかったのですが意外に
毎日にゆとりと余裕をもたらしてくれています。

常に何かに追われていないと不安になる症候群

忙しくなければならない症候群

そんなゆとりを感じつつもあるのですが、
同時に、

「こんなぬるま湯の状態でいいのだろうか?」

とも思ってしまいます。

・忙しさは充実度の高さの表れである
・生産性を向上させることを常に考えている
・より効率をよくすることに意義を感じる
・常にスケジュールが埋まっていないとしっくりこない
・いつもタスクに追われている
・頑張っていないと落ち着かない

などなどの、

「常に予定をいれることが充実へとつながる」

という考え方が染みついているのです。

ネットで調べても、
予定をいれないと気がすまないことについては

「空白恐怖症」
「予定入れなきゃ症候群」
「隙間不安シンドローム」
「忙しくなければならない症候群」

などなど、割とネガティブな表現をされていることが
多いことにはびっくりでした。

実際に

「時は金なり」

という言葉がありますが、

この考えと結びついて、
私たちの生きる時間、毎日を過ごす時間が、

「常に有意義であること」

こそが充実した人生を過ごすために必要であると
ある種の強迫観念なような思考をもたらしているのかもしれません。

「何かをすること」

に価値が置かれ、

「何もしないこと」

は時間を無駄にしている
というせわしない意識があることは否めません。

一方で、先日「くまのプーさん」の実写映画が放映されました。

その中で、ぷーさんの人生哲学ともいえる
名言がありました。

“何もしない”は最高の何かにつながる
Doing nothing often leads to the very best kind of something.

ぼーっとすることは
時間を無意味にしている行為かもしれません。

でも、その瞬間を生き楽しむということも
大切であるという側面も事実であるのです。

日常における決まりがないと衰退していくのみ

ただ、ここまで色々書いてきましたが、
私の生活の変化や個人的な感想として思うことは、

「人は易きに流れるもの」

ということ。

毎日、自分自身に課してきたことがなくなると
あっというまに自堕落になるものですよ(笑

・何となくテレビを見るし
・いつまでも読書を続けてしまう

などなど、
楽しこと、面白いこと、好きなことばかりやってしまいます。

「それでもいいかな~」

とは思うのですが、一方で、

「楽しいことだけやっててどうなるの?」

とも思うのです。

「楽しいだけの毎日のその先に何があるのだろう?」と。

本が好きだからといって
本をたくさん読んでいると、

それが仕事につながって
稼げるようになるのだろうか?

テレビやYouTubeやNetflixを見続けて、
この先円滑な人下関係が築けるのでしょうか?

そのためはっきりと思います。

「人生における目標がなければ
日常生活において努力なんてできない」

ということに。

なぜなら、毎日仕事をして疲れて、
家に帰ったら休みたくなるのは当然です。

ただでさえ大変な仕事をしているのだから
それ以外の時間はゆっくりと癒やしを得ようとするのは
普通です。

そんな状況において、

自らやるべきことを課して
成長のために日々の行動を律することは容易ではなく、

やろうとするならば、
その結果得たいものやなりたいものという

「大きな目標や目的」

がなければできないのです。

夢や目標が大事、というのは、
それがなければ向かう方向もわからないし、

取り組むモチベーションや原動力が
わいてこないということなのでしょう。

日常生活において、
何かしらの具体的な目標がなければ、

それはただただ
時間を浪費していくことになると私は思います。
(賛否両論あるかと思いますが)

ある意味で衰退していくということでもあると思うのです。

(あくまで個人的な感想です)

道は無限にある。あなただけの道を極めるということ

道を極めるためにまた動き出す日は必ずくる

毎日を楽しくゆったりと過ごす、
毎日を目標をたてて過ごすこと、

どちらの状況がよいのか、ということに関しては

「どちらでもよい」

というのが本音です。

毎日ゆったりするもよし!
毎日ハードに過ごすのもよし!

その結果として数年後にある状況は
各自が選択して選んだものだからです。

(なので、今後の人生において他責や言い訳はやめましょう)

でも、もしも、

「何とかしたいけれど、どうしたらよいのかわからない」

というギャップやモヤモヤがあるのならば
それは解消すべきでしょう。

その思いがあることが既に変化の兆しなのですから!

(そもそも、そう思わない人も多いものです)

どちらの道を歩むもあなた次第です。

道は2択でも3択でもなく、無限にあるもの。

既にあるどの道を歩むのか、
はたまた自分自身で道を切り開くのか、

それもまた自分次第です。

そんな無限の可能性において

「道を極める」

ためにどのような歩み方をすべきなのか。

私自身、模索中でもあります。

でも、何となく思うのは、

「一度目標に向かって突き進むオモシロさや充実感を味わった人は、
形や方法は変われど、いつか必ず戻ってくるであろう」

ということです。

ツラさや大変さはあったとしても、
だからこそ感じることができるものからは逃れられないだろうと(笑)

だから、それまでの休憩時間として過ごせばいいと思うのです。

人生すべて「無用の用」です。

無駄なことなんてどこにもありません。

こんな私の思考プロセスをつらつらと書き連ねてきましたが
そんな考えもあるんだ~程度にて誰かの何かの参考になれば幸いです。

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