1244道 「最善」でよしとするのではなく、常に「最高」を目指すことには価値しかない

最高を目指す!

誰もがわかっています。

「常に最高を目指していたい」

ということを。

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「最高」を目指すという理想と現実のギャップ

仕事でも最高レベルの結果を出したい。
もっと最高クオリティのものを納品したい。
人間関係も最高の状態にを保っていたい。
やる気もテンションも最高にしていたい。
健康状態も最高でありたい。

などなど、
最高でありたいのです。

でも、そこには

「現実」

が待ち受けています。

現実としては、

・仕事には納期があるので その間でできるものを納品しなければならない…
・人間関係を良い状態にしておきたいが 他に緊急性の高いタスクがあるのでできない…
・不安や面倒事があると いまいちやる気がでない…
・お酒に飲まれて調子が悪い…

などなど
最高を保てない理由があるのです。

悲しいことにそれが続くと、
いつの間にか

「最善」

でよしとするが当たり前になるのです。

最善が決して悪いわけではありません。

でも

「最善=妥協」

とするのはやめたいものです。

「最善を尽くしたからしょうがない」

というのを言い訳として
使うのはかっこ悪いですよね。

それだけは止めたいもの。

「最高」を目指すのはメリットしかない

そんな言い訳よりも、

「常に最高の可能性を追求すべき」

だと思うのです。

なぜなら
最高を目指すことにはメリットしかないからです。

もちろん、最初から犠牲をよしとし
妥協して進む安らかな道より、

理想を追う高く険しい崖道の方が、
遥かに困難で、苦しいです。

でも一方で「意義がある」のです。

というのも
最高を目指して失敗したとしても、
うまくたどり着けなくても、

「最高」が「最善」に落ち着くだけなのです。

もしも
成し得た時は「最高の理想」が実現するのです。

ならば、最初から
過酷の道を選ぼうではありませんか!

道を極めるということ

世の中には無数の道があります。

優しい道、
見通しやすい道、
気軽な道、
困難な道、
険しい道、
茨の道、

などなど数えきれません。

そしてどの道を歩むも自分次第。

そこに正解も不正解もありません。

でも、一つだけ言えるのは

「無難で平坦な道だけを歩むことを
あなたの人生とすることに満足できますか?」

死ぬ間際に

「我が人生に悔い無し!」

と誇りをもって言えそうですか?

困難で険しい道をあえて歩む必要は
どこにもないのかもしれません。

でも、茨の道だからこそ
得られる何かがあるものです。

そんなあなただけの道を歩むことこそが

「道を極める」

ということ。

後悔だけはしたくない道を歩みましょう。

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