本日も引き続き、昨日の「ART」についての話を。
自分がいつも読んでいるメルマガに同じく
「アート」について書いてあったのでご紹介したいと思います。
そのメルマガは鮒谷周史氏が書く「平成進化論」というメルマガです。
平成進化論とは、
【個人発行として読者数日本最大級のビジネス系メールメディア】
複数の高収益企業を経営、日本・海外のベンチャー企業約20社
(IT、人材、環境、金融、ホテル、セキュリティ等)
への投資も行う鮒谷周史のメールマガジン(メルマガ)「平成進化論」紹介サイトです。
その鮒谷さんのメルマガの文章を抜粋してご紹介します。
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(抜粋ここから)
■日経新聞の「プロムナード」というコーナーに、
哲学者の森岡正博さんのコラムがありました。(平成22年8月31日)
2004年に兵庫県立美術館で開かれた、
「『具体』回顧展」を見に行ったときのことが
描かれています。
■美術における「具体」とは、
森岡さんの言葉を借りて説明すると
「1954年に日本で始まった前衛芸術運動」で、
「とにかく新しい実験的な試みならば
何をやってもいいというかけ声のもと、多種多様な
作品が生み出された。
その作品群は、海外からも注目され、いまや
美術史にも記されるようになった」
とのこと。
■その後、森岡さんは、
中学時代の美術の先生の作品を、思いがけず見つけます。
「その瞬間、それまで忘れていた40年も前の記憶が、
堰を切ったように私の脳裏によみがえって来た」
と述べ、ご自身の記憶を回顧されます。
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絵を描くことが大好きだった私は、私立土佐中学校に入学して、
美術教師、高崎元尚に出会った。
彼の授業は過激そのものだった。
中学1年生の生徒たちに、
「何を使ってもいいから面白いものを作ってこい」
と言い残して教室を去り、自分は展覧会に出すだめの作品を
制作しはじめるのだった。
私は彼の制作物に目を見張った。
セメントのような物体を粉々に壊して床に整然と並べ、
彼はにやにやしていた。
その姿に衝撃を受け、私もきれいな絵を描くのをやめ、
ベニヤ板にカンナ屑を無数に貼り付けたり、
リンゴを釘で打ち付けたりして、彼のところに持っていった。
彼はそれを受け取りながら、
「ああ、面白いですね」
と言った。
私は、アートとは何かを、そのとき自分の内側から
あふれ出てくるものとして発見したのだった。
今から振り返ってそれを言葉にするとしたら、
「アートとは世界という素材から
未知の<驚き>を切り取ってくる営みである」
ということになるだろう。
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■この文章の中で私が非常に印象に残ったのが
「アートとは世界という素材から
未知の<驚き>を切り取ってくる営みである」
という箇所。
こういう表現方法があったのか、という驚き。
■そして氏の言葉をもじらせていただくならば、
ビジネスも、
「世界という素材から
未知の<価値>を切り取ってくる営みである」、
すなわち、アートではないかと思ったのです。
■いまだ誰にも発見されずに眠っている潜在的需要を
切り取ってきて、顕在化させる、
という意味で、
ビジネスはアートであるという人が多くいますし、
私も同感です。
しかも、その「切り取って」きた価値(ビジネス)が
芸術的で参入障壁の高いものであれば、言うことなし。
いよいよアートと呼ぶにふさわしいでしょう。
・利益率が極めて高い会社は、
アート性も高いように感じます。
力技で、無理矢理に価値を生み出しているのではなく、
【 本当に美しいビジネスはアートの領域に属する 】
のではないかと。
アート性を高めることが、
またビジネスの醍醐味でもあると思うのです。
(抜粋ここまで)
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■いかがでしょうか?
アートとは、
「世界という素材から
未知の<驚き>を切り取ってくる営みである」
という表現にインスピレーションを感じ、自らの分野に転用する。
するとビジネスも、
「世界という素材から
未知の<価値>を切り取ってくる営みである」
という言葉になるのです。
このように言葉をアレンジすることが出来ること自体が
まずすごいとは思います。
と同時にその感性や感覚というものも研ぎ澄ましている
ように感じます。
■では自分ならこの表現をどうアレンジするだろう?
このように考えてみました。
『生きる』とは、
「世界という素材から
未知の<志>を切り取ってくる営みである」
なぜ人は生きるのか?
生きる目的は何なのか?
それは、自分の人生の目的を探し、
それを実現することが『生きる』ということだと思うのです。
ならば自分自身の生きる目的、つまり<志>を持たねばなりません。
■その<志>は最初からわかっているものではないです。
自分という小さい枠の中からではなく、
周りに広がる世界を見て、感じて初めてわかるものなのです。
それは、まったくの未知であるものかもしれません。
自分が生きてきた狭い環境の中では想像もできないことなのかもしれません。
またそれは別の<志>を持つ人から影響を受けるのかもしれません。
■いずれにせよ、まずは多くの世界に触れなければなりません。
そのためにも一歩踏み出すこと、色々な人に出逢う必要があります。
またそれは人でなく、本や映像かもしれません。
自分で自分の可能性を狭めることなく、色々な事に挑戦していきたいと思うものです。