昨日ある都内の大学を訪問してきました。
その大学は1学年2000人程度在籍していて、
未だ就職が決まっていない学生が2割程度はいる
ということでした。
学生の就職支援として、10月に大学内で
合同企業説明会を実施していました。
ただ学生の来場が10人程度だったということもあり、
先生方もビックリという感じだったようです。
学生への告知としては、主にメールによる情報の発信
で行っていました。
ただ本当にメールでの情報発信は正しいのだろか?
そう先生はつぶやいていました。
実際にその学内セミナーに来場した学生に、
どこでこのイベントを知ったのかと聞くと、
「友人から~」「たまたまキャリアセンターのチラシを見て」
という学生が多かったようです。
学生は学校からのメールを見ていないのではないか?
そう思ったようです。
■確かに昨今の情報はとても多いと思います。
会社のパソコンでも1日たてばメールが山ほど来ています。
個人の携帯のメールにしても、商品のPRやイベント案内、
割引クーポンやメルマガと日々多くの情報が届きます。
さらにSNSも加わると情報は氾濫しています。
このような情報が氾濫している状況に慣れてしまうと、
情報への感度というものは下がってしまうように思います。
何が大切で何が大切でないのかがわからなくなってしまう
と思います。
■またコチラが何もしなくても情報が一方的に届く、
それはつまり待っていればOKの状態になっている
ということにもなります。
まさに昨日の記事でもお伝えした
「与えられ慣れている」という状況になって
しまっているのです。
<77号 与えられ慣れている人>
この状況は本当に自ら考えるという力を
奪い取ってしまうと思います。
特に就活において、待っていれば内定がもらえる
ということはないので、
自ら積極的に動いていかなければならないのです。
■こういった状況ではいかに自分が必要とする情報への
アンテナを立て続けるのかということを意識しなければ
ならなくなっています。
この世の中は、
『玉石混交』
良いもの悪いものは入り交じった状況です。
本当に自身にとって必要な情報は一握りです。
その一握りを得るためにも、
「自分に必要なものかを見分ける判断基準を持つ」
「情報へのアンテナをたてる」
「自ら積極的に動いていく」
こういったことが必要になってくるのです。
そこら中に漂っている情報を得て満足しているだけでは、
本当に自分に必要な情報なのかさえわからなくなってきます。
明確な意図を持って、
情報に振り回されるのではなく、
情報を活用する側にいるべきだと思うのです。