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人は「自由」を求めるが、それには「責任」も伴うという事実
「自由」
という言葉には
とても魅力的な響きがあります。
すべてを自分の思うがままに
自由に決められ、
すべてを自分の思うがままに
自由に行動できる。
すべての決定権は自身にあり
そこから得られるすべての恩恵を
享受できる。
それは正しいです。
でも、もしかしたら勘違いしている人も
いるかもしれません。
それは
「自由」には「責任」を伴う
ということです。
自由と責任のバランスを均衡にする
メーターがついている
ダッシュボートを思い浮かべてください。
メーターの端には<自由>
もう片方の端には<責任>
という言葉が書かれています。
人生は
「自由」と「責任」
の
「バランス」
にて成り立っています。
人生はすべてバランス
といっても過言ではないでしょう。
あらゆる均衡点で重要なもののひとつに、
自由と責任が含まれているのです。
例えば、
会社を辞めて起業し、
自由に起床時間を決めれるようになった、
とします。
確かに自由に働く時間を決められるのですが、
それに伴い稼働時間が下がり、生産性が下がり、
受け取る報酬が下がったとしても
誰もその尻ぬぐいをしてくれません。
すべては自分自身の責任において
それらを受け入れなければならないのです。
例えば、
周りの目を気にしないで、
自分の思ったことを自由に発言する、
としましょう。
わずらわしい人間関係や気遣いからは
解消されるかもしれませんが、
それに伴い
「あいつは空気が読めないヤツだ」
というラベリングをされ
コミュニティから放り出され、
関わってくれる人がいなくなったとしても
それをフォローしてくれる人はいません。
自分の責任で人間関係の修復を
行う必要があるのです。
自由の活用方法は道を極めるためにある
自由はとても素晴らしいです。
自由に生きましょう。
その瞬間を楽しみましょう。
今という時間は今しかありません。
何にもとらわれず情熱で過ごすのです。
でも忘れないでください。
自由には責任が伴うということを。
責任を負ってください。
目標を設定するのです。
約束は守りましょう。
義務は果たしましょう。
成果は必要です。
大切なことを成し遂げるのです。
自由とは単に遊び呆けるのではないのです。
古い慣習やしがらみにとらわれず
自分の思いを成し遂げることを最優先にする
ということです。
だから自由を活用し、
自分の想いをカタチにしてきましょう!
あなただけの道を極めていきましょう!
でも同時に
それは社会に対して貢献する
という責任を負うことになるのです。
少なくとも私はそう思うのです。