1201道 その発言は本心ですか?それとも正当化ですか?

本心?正当化?

我々の多くは
自身の発言や行動や信念や生き様を

「正当化」

しようとするものです。

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正当化とは見栄であり、慰めであり、本心を隠すことである

例えば、仕事において
大切な案件を受注できなかったとしたら、

「どうせ苦労する案件だから
受注しなくてよかったね」

と正当化します。

好きな人に告白できずに卒業したとしたら、

「どうせ自分なんかが好かれるわけないから
告白しなくてよかったよ」

と正当化します。

太っていてダイエットしたいと思うものの
なかなかできないとしたら、

「仕事を頑張っているから
ご褒美でお菓子を食べるのは仕方が無い」

と正当化します。

もっとお金持を稼ぎたいにも関わらず、

「副業する時間はないし、勉強するお金もないし、
絶対に成功するわけでもないからやらないほうがいいさ」

と正当化します。

もちろん、本心からそう思っているのならば
それは問題ないのです。

でも、それが

「言い訳」

であったり、
自分の格好悪い姿をごまかすための

「見栄」

であり、

「正当化」

であるならば
望むことと違うことをよしとしているのです。

望まない正当化は悪癖となる

正当化することで
本心から納得できるならばよいでしょう。

それも選択の一つです。

でも、もしもそれが心の底からやりたいと
思っていることではないのならば、
正当化を避けることをお勧めします。

なぜならば、
正当化する思考はパターン化されて、

一つの事象を正当化して許してしまうと
その後、別の事象においても正当化が
当たり前になってしまうのです。

正当化すればするほど
その状態が正しいとされるため、

その状態に固定されてしまい
今後もそれでよしとしてしまうのです。

それって損していると思いませんか?

自分の気持ちに正直になることからはじめよう

もしも正当化している認識があるならば
まずはそんな自分がいることを自覚することから
はじめましょう。

そして問いかけます。

「この先もずっと本心を隠して、
見栄を張り続ける人生を過ごしたいか?」

もしも『No』ならば、
本当の気持ちに正直になりましょう。

「失敗するかもしれない、恥をかくかもしれない。
それでもよりよい人生を手に入れたいか?」

もしも『Yes』ならば、
正当化しようとした際には踏みとどまり、
もっと挑戦できることはないか考えてみましょう。

アクセルとブレーキを両方踏み込んでいたら
進むことはできません。

だからこそ
アクセル全開で進めるように、
正当化はきっぱりと辞めるようにしましょう。

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