1094道 「そんなことやってもしょうがないよ」と思える無力感にさいなまれたときでも、あなたはそれをすべき理由

暗闇のなかの一つの光
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「そんなことやってもしょうがないよ」と思える無力感にさいなまれたときでも、あなたはそれをすべき理由

とある寓話が
まさに今、私が感じていることを
上手に伝えてくれています。

「無力感」を感じるものに対して
自分自身がどう関わっていくのか?

ということを
納得感と共に考えさせてくれています。

まずはその寓話を共有したいと
思います。

ある夕暮れ時、人影の途絶えた海岸を
歩いていると、遠くのほうに誰かが
立っているのに気がついた。

近づいてみると、メキシコ人の男が
何かを拾っては海に投げ入れていた。

よく見ると、それはヒトデだった。

男は、引き潮で波打ち際に取り残されて
しまったヒトデを、一つ一つ拾い上げては
海に投げ入れていたのだ。

どうしてそんなことをしているのだろうと
不思議に思った友人は、男に話しかけた。

「やあ、こんばんは。
さっきから気になっているんだけど、
何をしているのか聞いてもいいかね?」

「ヒトデを海に帰してやっているのさ。
見ろよ、たくさんのヒトデが波で打ち上げられて、
砂浜に取り残されてしまっているだろう。

おれがこうやって海に投げてやらなかったら、
このままひからびて死んじまうよ」

「そりゃあ、もっともな話だが、
この海岸だけでも、何千というヒトデが
打ち上げられているじゃないか。

それを全部拾って海に帰してやるなんて、
どう考えても無理な話じゃないかな?

それに世界中には、
こんな海岸が何百もあるんだよ。

君の気持ちはわかるけど、
ほんの一握りのヒトデを助けたって、
何にもならないと思うがなあ」

これを聞いた男は白い歯を見せてニッと笑うと、
友人の言葉などおかまいなしに、またヒトデを拾い上げて、
海に投げ入れた。

「いま海に帰っていったヒトデは心から喜んでいるさ」

そう言うと、また一つヒトデを拾い上げ、
海に向かって投げ入れたのだった。

目の前で喜んでくれる人が一人でもいるならばそれでいいのではないだろうか

あなたはこの男を笑い飛ばすでしょうか?

「そんな焼け石に水みたいなことをして
何の意味もないよ」

「それは自己満足であって
何の解決にもならないものだよ」

そう言うでしょうか?

確かに男の行為と
数多くいるヒトデを比べて考えると、

無数にいるヒトデのすべてを救えない
男の行為については無意味である、

と考えてしまうものはもっともな話です。

その気持ちはよーくわかります。

私もフィリピンに行くまでは
同じように感じていたと思います。

でも、
どれだけ心に想いを秘めていても、
頭の中で解決策について練っていても、

実行しないことには
何も生まれないのです。

単にテレビのコチラ側で
お菓子を食べながら、寝そべりながら
批判と批評をするのは簡単です。

一歩を踏み出す、
手を動かすことによってしか
現実が変わることはないのです。

であるならば、

目の前にある小さな命を救うだけでも、
目の前にある小さな笑顔を守るために、

できることをすることは
決して無意味ではないのです。

そこには確かに意味があるのです。

大きなことだけに意義があるのではない。些細なことにも価値はある

困っている人がいると
多くの人は

「私に何かできないだろうか」

と思うことでしょう。

でも、同時に

「自分一人のチカラなんてたかがしれている。
意味がないよ。」

「自分がやらなくても
他のだれからがやってくれるさ」

と変な言い訳をしてします。

そして気にはなりながらも
何もできないという

「無力感」

にさいなまれながら、
日常生活に中に埋没していくのです。

この状態が続くと
何もできなくなってしまいます。

気遣いや心を痛める感受性があるからこそ
無力感にさいなまれてしまい、

その感情が日常生活においても

「自信のなさ」や「自己嫌悪」
「卑屈感」や「無気力感」

につながる可能性もあるのです。

これだけは避けたいものです。

人を助ける、ボランティアをする、

ということを考えるとき、

「何か大きなことをしなければならない」

そのように考えてしまう人も
いるのではないでしょうか?

そんあことはありません。

ちょっとしたことでも、
些細なことであっても、

何かしらの役にはたつのです。

たしかに、
泣いて感謝されるほど
大したことはできないかもしれないです。

でも、自分の行為で、
些細なことであっても

現実が変わるのならば
それでいいのではないでしょうか?

自分の手助けで
目の前の人が笑ってくれるならば
それだけでいいじゃないですか?

それ以外に何を望むんですか?

自分にできることはたかが知れている。

でもたかがしれているからこそ
できるものがあるのではないでしょうか。

そんなことを感じるです。

もしも、今、気後れしてできないことが
あるとしたら、

気にせずやってみるのもありだと
思いますよ。

たとえそれが自己満足であっても
誰かが救われるかもしれませんから。

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