330道 人生は四季を巡る

四季は巡る

昨日に引き続き、吉田松陰の言葉のご紹介です。

「人生は四季を巡る」

もうすぐこの世を去るというのに、
こんなにおだやかな気持ちでいられるのは、
春夏秋冬、四季の移り変わりのことを考えていたからです。

春に種をまいて、
夏に苗を植え、
秋に刈り取り、
冬がくれば貯蔵する。

春と夏にがんばった分、
秋がくると農民は酒をつくって、
なんなら甘酒なんかもつくって、
収穫を祝い、どの村でも歓喜の声があふれます。

収穫期がやってきて、
きつい仕事がようやく終わった。

そんなときに、悲しむ人なんていないでしょう。

私は三十歳で人生を終えようとしています。
いまだ、なにひとつできたことはありません。

このまま死ぬのは惜しいです。

がんばって働いたけれど、なにも花を咲かせず、実をつけなかった。

ですが、私自身のことを考えれば、
やっぱり実りを迎える時期がきたと思うんです。

農業は一年で一回りしますが、
人の寿命というものは決まっていません。

その人にふさわしい春夏秋冬みたいなものが、
あるような気がするんです。

百歳で死ぬ人は百歳なりの四季が、
三十歳で死ぬ人は三十歳なりの四季があるということ。

つまり、三十歳を短すぎるというなら、
夏の蝉と比べて、ご神木は寿命が長すぎるというのと
似たようなものじゃないかと思います。

私は三十歳で、四季を終えました。

私の実りが熟れた実なのか、
モミガラなのかはわかりません。

ですがもしあなたたちの中に、
私のささやかな志を受け継いでやろう
という気概のある方がいたら、
これほどうれしいことはありません。

いつか皆で収穫を祝いましょう。

その光景を夢に見ながら、
私はもういくことにします。

■吉田松陰は三十歳でこの世を去りました。

早い死だと思います。

ただ、この詩を読んで、
彼は自身の人生を悔いていると思いますか?

私はそのようには感じませんでした。

「人にはその人の四季がある」

彼には彼の春があり、夏があり、秋があり、
そして冬があったことだと思います。

その四季を自ら悟り、受け入れることができれば
きっと後悔はないのだと思います。

■さて私自身はどうか?

まだまだ道半ばです。

一生という大きな枠でみると、
まだまだ春~夏といったところでしょうか。

一生の中に大きな春夏秋冬があるならば、

その中でももう少し小さなサイクルである
春夏秋冬があるように思います。

その小さなサイクルの四季を巡るのが
今です。

今の時期に適した行動をしているのです。

■人生を終える際に、後悔はしたくない。

そう思います。

では、後悔しないためにはどうすればいいのか?

それは毎日を悔いなく生きることの
積み重ねだと思います。

日々の積み重ねが人生をつくっていくのです。

あっという間に過ぎる一日ですが、
確実に人生の一日が経過しています。

長い人生からするとほんの一日です。

でもそのほんの一日が人生を形成しています。

だからこそ日々の過ごし方は
自分自身の人生を表しているのです。

■もし明日、自分の人生が終わるとしたら、
人生に悔いなしといえるでしょうか?

自分自身に日々問いかけているのです。

そして自分の日々の行動を見直しているのです。

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