549道 価値観の相異を認め合うことがすべての出発点である

先日、パラレルキャリアを実践している
20代前半の人の話を聞いて、

「なるほど」

と思うことがありました。

時代の流れによる価値観の相異

ちなみに、
パラレルキャリアを簡単に言うと、

「本業を持ちながら
プライベートでも個人活動をするスタイル」

です。

この個人活動とは、
有償無償を問わず、仕事だけとは限りません。

現役のビジネスマンが、本業を続けながら、
同時にそれ以外のことにチャレンジすることです。

詳しくは、こちらをご覧ください。

パラレルキャリア – Wikipedia
一つの会社だけにとらわれない働き方を
している人たちなので、

今までの仕事観や価値観とは違う
考え方をしていると思うのです。

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バブル世代、ミレニアム世代の価値観

その人いわく、
いわゆるバブル世代の価値観として、

「仕事120%」

という価値観があるのではないか

ということでした。

つまり、「仕事」を「120%」の全力で取り組めば、
他のこと、例えば

「家庭」、「友人」、「子育て」、「趣味」

といったことは、
あまり重要視しないという考えです。

一方で、
ミレニアム世代(ゆとり世代)の価値観は、

「仕事」は「60%」くらいでよい。

ただ、「家庭」も「友人」も「趣味」も

「60%」でありたい。

そして
トータルでは「120%」でありたい、

というものなのです。

すべての人が上記の価値観ではない
と思いますが、

確かに最近の若者の
仕事だけをとことんやるのではなく、

「ワークライフバランス」

といった仕事とプライベートの両立を
重視する傾向は強いように感じます。

とすると、
「仕事120%の価値観の人」と、

「仕事60%の価値観の人」の

仕事のやり方、捉え方、働き方は
否応なく違ってくるものです。

それを自分の経験談による

「仕事とはね!」

という古い時代の考え方や
画一的な指導方法では

価値観が違う世代の人には
まったく響かず、

そのギャップによって
物事が全然進まなかったり、

離職・退職ということが
起こってしまっているのではないでしょうか。

価値観の相異はコミュニケーションの齟齬をうむ

価値観が違うと
コミュニケーションの齟齬をうみやすく
なります。

こちらが正しいと思うことも
相手はそう思っておらず
会話が通じない。

それを何度も繰り返しても変わらないと、
注意、指導するのも嫌になります。

また、
注意されるほうも、

価値観が違うため
一方的な注意、指導としか思えず

決めつけ・こだわり・古い考えの
押しつけとしか受け止められず

耳を閉ざしてしまうようになるのです。

お互いがお互いの価値観を認め、
受け入れ、尊重することから
コミュニケーションは始まります。

そのコミュニケーションが成り立ってから
教育・指導は機能するのです。

その前提をとばして
立場や役職による教育・指導は

「百害あって一利なし」

なのです。

コミュニケーション講座に行っても
なんの改善にはなりはしない

「価値観を認め合う」

言葉にすれば一言ですが、
とても難しいことだと思います。

そもそも自分の価値観を
はっきりと認識している人は少ないでしょう。

それを明確にしたうえで
さらに相手の価値観を受け入れるのです。

そして、たとえ価値観が違っても
それを尊重して関わっていくのです。

決して一朝一夕にはできないことです。

世にあるコミュニケーション講座では、

「たった〇〇日で部下との円滑な
コミュニケーションがとれる」

みたいなフレーズがありますが、
そんなことはありえません。

もちろん、スキルも大切なので

ある程度のコミュニケーションの上達は
あると思いますが、

根本的な改善からはズレています。

大切なことほど時間がかかるのです

けど、仕事をする上では当然、
生きていく上でも必須のことなので

時間がかかるからといって
焦らず、省略するのではなく、

じっくりと時間をかけて
非効率的な関わりをすることで

本質的なものを
体得して欲しいものです。

原理原則や、本質的なもの、
普遍的な事象や真理というものは

習得に時間がかかるものなのですから。

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コメント

  1. 個人的考え より:

    私はあるサイトでそれなりに親しい友達が出来ました。インターネット上ですから友達というより親しくなった人という言い方が良いかも知れません。

    しかし、ある事をきっかけにそれらの人間は私から離れていきました。簡単に言えば、私個人の考え方と、それらの連中の考え方が合わなかったという事なのですが。

    私は考え方の違いは当たり前だと思っているので、その事自体には疑問を感じていませんし、むしろ自然な事だと思っているのですが、相手側は『考え方を同じくする事こそがお互いに認め合う事』だと言ってきた事に関して、それは違うだろうと思った訳です。

    お互いに認め合うという表現はあまり好きではないのですが、あえてその言葉を借りるならば、私は考え方の違いを理解し合えた時にはじめてお互い認め合えたと言えるのだと思います。

    人間関係を保つには、多少の我慢とか譲り合いも必要です。しかし、人間関係を保ちたいが故に何でもかんでも他人の意見に合わせる必要はないと思います。

    もしも考え方の違いだけで人間関係が崩れたのだとすれば、その程度の関係だったと思えばいいだけの話。

    私はつくづく感じたのですが、考え方が違う人同士の集まりの方が、お互いに人として高めあう事につながるように思います。

    金魚のふんのように誰かに付いていくだけではつまらないです。

    別にあまのじゃくになった方がいいという事ではなく、集団に属している事によって、自分自身を見失いそうになった時は思い切ってそこから離れるという選択をした方が楽になると思うだけです。