このお盆の時期は実家に帰省しています。
実家に帰省している際は
いつもほとんどスマホをいじりません。
スマホを使いこなしている?縛られている?
実家に帰っているときは
特に何もすることがないから
スマホがないと
とっても暇という人もいるでしょう。
でも、私にしてみれば
用もないのにスマホをいじることはしません。
スマホはとても便利なツールです。
それは連絡をとりあったり、
情報収集をしたり、
情報共有をするのにはうってつけです。
「いつでも、どこでも、手軽に」
誰とでもつながることができます。
でも、
それゆえに
「いつも、どこにいても、確実に」
何かに(誰かに)自分が縛られている
ということにもなるのです。
スマホは使いこなすツールであるのに
スマホが生活のメインになって
スマホに使われているような逆転現象が
起こってはいないでしょうか?
何に時間を費やすのかで人生は決まる
スマホを見ているだけで
色々な情報が入ってきます。
その情報を受け手である
我々が「能動的」に受け止めればいいのですが、
多くの場合テレビと同じで
「受動的」に受け取ってしまします。
受動的になりすぎると
考えることをしなくなり、
自分の感情を感じなくなり、
自分の時間を手放してしまい
結果として
「自分自身を見失う」
ということになるように思うのです。
便利がゆえに
いくらでも時間をつぶせて
ハマってしまうスマホの恐ろしさ。
有限である人生において
我々はもっと適切な時間の使い方が
あるのではないでしょうか?
それに気づくためにも
たまには携帯不携帯をしてみることを
おススメします。