696道 携帯不携帯のすゝめ

このお盆の時期は実家に帰省しています。

実家に帰省している際は
いつもほとんどスマホをいじりません。

スマホを使いこなしている?縛られている?

実家に帰っているときは
特に何もすることがないから

スマホがないと
とっても暇という人もいるでしょう。

でも、私にしてみれば
用もないのにスマホをいじることはしません。

スマホはとても便利なツールです。

それは連絡をとりあったり、
情報収集をしたり、
情報共有をするのにはうってつけです。

「いつでも、どこでも、手軽に」

誰とでもつながることができます。

でも、
それゆえに

「いつも、どこにいても、確実に」

何かに(誰かに)自分が縛られている

ということにもなるのです。

スマホは使いこなすツールであるのに
スマホが生活のメインになって

スマホに使われているような逆転現象が
起こってはいないでしょうか?

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何に時間を費やすのかで人生は決まる

スマホを見ているだけで
色々な情報が入ってきます。

その情報を受け手である
我々が「能動的」に受け止めればいいのですが、

多くの場合テレビと同じで
「受動的」に受け取ってしまします。

受動的になりすぎると
考えることをしなくなり、

自分の感情を感じなくなり、

自分の時間を手放してしまい

結果として

「自分自身を見失う」

ということになるように思うのです。

便利がゆえに
いくらでも時間をつぶせて
ハマってしまうスマホの恐ろしさ。

有限である人生において
我々はもっと適切な時間の使い方が
あるのではないでしょうか?

それに気づくためにも
たまには携帯不携帯をしてみることを
おススメします。

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