1000道 道を極めるためにブログを毎日書き続け【1000日】たっていま思うこと

道を極める

ブログを書き始めて今日で1000日が立ちました。

いざ1000日目を迎えると

「あっという間だった」

というのが率直な感想です。

もう1000日もたったのか
という感じです。

「道を極める」というタイトルにもあるように
道を極めつつあるのか振り返ってみたいと思います。

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道を極める?ブログを書き始めた当初は迷走していました(笑)

最初から1000日も続くとは思っていませんでした。

「本当に続けられるのか?」
「毎日ブログを書くことに意味はあるのか?」
「読まれる人も少ないのに意味はあるのか?」
「内容が薄いブログはやめたほうがいいのでは?」
「自分よりスゴイ人が情報発信すればいいのでは?」
「他にもっとすべきことがあるのではないか?」

などなど、
色々とモヤモヤすることはありました。

でも、そんな風に思っていたのは
300日ぐらいまででしょうか?

それ以降は

「意味がある、ない」

という基準はなくなりました。

そんなことを考えることに意味はない
ということにたどりつきました。

「読まれる、読まれない」
「内容が濃い、薄い」
「意味がある、ない」

そんなことはどうでもいいのです。

「自分でやると決めたことを
愚直にやり続ける。

その結果、見えてくるものがある
のかもしれない」

または、

「継続することでしか得られない
なにかを感じ取る」

ということを実感してみたかったのです。

その結果として、何かしらの道を極めることに
通じるのではないかと思うのでした。

単に指摘だけをする批評家にはなりたくない

人から伝え聞く話ってあると思います。

「●●の製品がよかったよ!」
「話題の●●はとても面白いよ!」

という話を聞くと
どうしますか?

ちょっと気になって
使ってみる人もいれば、

良さそうとは思いつつも何もしない人も
いると思います。

それはどちらでもいいのですが、
一番ダサいのは

「何もしないのに批評だけする人」

だと思うのです。

例えば広告でも、

「●●ヵ月で●●kgやせました!」
「●●時間で●●円稼ぎました!」

みたいな怪しいやつもあると思います(笑)

ホントなの?と思うのですが、

実際にそうなった人がいるもの
事実だと思います。

だからこそ
外から批評するだけでなく、
自分も実体験すべきである。

そのうえではじめて語れるものがある、
そんな考えがあったのかもしれません。

常に道を極めるために歩み続けていく

わたしは成長することや
今よりも広い視野を得ることに
興味があります。

発言にチカラがあって、
魅力的な人間になることも理想です。

そのために周りの人がおススメしていて
かつ実践していた

「毎日情報発信をする」

ということを実際にやってみることにしました。

そんな毎日の情報発信を続けて
1000日がたったのです。

自分で言うのもお恥ずかしいものですが、

毎日少なからず何かを考え、
読んでくれる人の何らかの役に
たつであろう内容を発信し続ければ、

1000日前とまったく同じ自分でいる
はずはないですよね(笑)

少なからず成長はしているはず。

そして

「自分で考えた内容を発信すること」

は、資金も必要なく、
やろうと思いさえすれば

「誰もができること」

であるので、
その素晴らしさはお伝えしたいと思うのです。

広告のコピーではなく、

私自身の実体験として

「1000日間継続してきた」

がゆえに伝えられること
お伝えしたいと思うのです。

道を極めるその過程の【1000日】継続することで見えてきたもの・感じたもの

わたしは確かにこの世を生きてきた

皆さんは、
1年前の今日、何を考えていたか覚えていますか?
そのときどんな気持ちだったかわかりますか?

3日前の夕食のメニューでさえ
覚えていないのに!?

そんな前のこと
覚えていられないですよね?

でも、わたしの場合は
毎日ブログを書いてきたからわかるのです。

それがわかるということは、
過去の日々を意思をもって生きてきた
証でもあるのです。

1日24時間という時間の中で
感じ得た何かを言葉にして残しているのです。

それが目に見える形で残っていることが
どれだけ幸せだと思いますか?

言葉に表せないぐらい感慨深いものです。

人が生きている意味なんてわかりません。

でも、私は確実に
この1000日間を生きていました。

生きた証を残しているのです。

しょーもない1日かもしれないけれど、
わたしという人間はいたのです。

それだけで十分です。

そんな気持ちになったというのが
率直かつ正直なところなのです。

これは言い換えると、

「あるがままの自分を
受け入れることができる」

ということなのかもしれません。

他人の目や周りの評価ということを
必要以上に気にしなくなりました。

日々、自分の心と向き合っているせいか、
いびつな感情の揺らぎは少なくなりました。

もちろん
見栄や欲望もあるのですが(笑)、

でもギラギラ、ガツガツという
真っ赤な炎ではなく、

静かにでも熱量は高い
青い炎を宿すイメージです。

そんな心の在り方に変化したのです。

成長した。そして自信がついた

みなさんは

「100日理論」

をいう話を知っていますか?

自分の能力や感性を高めたいと思ったら、
1日の中断も1回の断続もなく、

100日連続で継続をしていけば
始めたことが習慣化して向上し始める、

というお話です。

単純に100日間何かをやる
のではなくて、

「1日必ず1回」

「100日連続でやる」

という絶え間無くやることが重要です。

100日間継続していれば、

最初は頑張って意思のチカラで
取り組んでいたものが、

歯磨きをするのと同じように
当たり前のこととして習慣化するのです。

それは事実だと思います。

「毎日書かなければならない」

という考えから、

「毎日書くのが当たり前」

になっていきました。

なにかを変えるためには
具体的な行動が必要であり、

その行動を
長期的に継続する必要があります。

継続するためには
習慣化させる必要があり、

毎日の取り組みを
100日続ければ習慣になります。

できなかったことができるようになる
ということは、

成長を実感するものです。

自信もつくものです。

「継続はチカラなり」

という言葉の意味を
自信をもってお伝えできるのです。

思考が変わる

1000日も書き続けていると
同じ内容を書くことも当然あります。

日々、続けていくと

本当に書きたいこと、
伝えたいことの本質は

同じであることに気がつきます。

それが自分の心の底から信じている
「信念」であることに気が付きます。

それを何度も何度も
繰り返し書いていくことは、

自分の思考に上書きをする
ということになります。

それはパソコンのデータのように
一気に最新の状態になるわけでなく、

樹木の樹齢のように
幹が太くなるが如くの上書きです。

陶器のように
手をかけて形作り、
塗り固めていくようなものです。

一本の細い枝に
縄を巻いていくことで
頑丈になっていくように、

小さな信念に
言葉を重ねることで
より強く濃い想いにしていくのです。

それが思考を変えるということです。

育った環境による
考え方の固定というのは誰にでもあるのですが、

同時にその思考を望む方向に
書き換えていくということも可能なのです。

書くことで、
発信することで、

想いを強固なものにしていく。

それが言葉の強みであり、
時間による複利なのです。

その他もろもろ学びました

その外にも感じたことや学んだことは
たくさんあります。

・イメージを言葉に変える
・自分に正直になれる
・自分を躾けることができる
・アンテナが高くなる
・軸ができる
・心のバランスを保てる
・感謝の気持ちがもてる

細かく書くとまだまだあるので
いったんはこのくらいにしておきます(笑)

道を極める いまだ道の途中

でも、1000日なんて
まだまだ通過点です。

わたしの周りには2000日、
3000日以上も継続して情報発信している人は
ゴロゴロいるものです。

なので、
おごることなく
謙虚な気持ちで

これからも毎日続けていきます。

今あらためて感じることは、

「過去があるから現在がある」
「経験があるから成長できる」
「目的があるから行動できる」
「行動するから充実する」
「充実するから未来に向かえる」
「その歩みが道を極めていく」

ということです。

これからも継続することで、
その先に見える世界には何があるのだろう?

どんな景色が見えるのだろう?

道を極める過程でなにを悟るのだろう?

それが今から楽しみなのです。

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