1072道 フィリピンに来てマイノリティ(少数派)になってはじめてわかること

マイノリティの辛さ
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フィリピンに来てマイノリティ(少数派)になってはじめてわかること

フィリピンに到着して2日目です。

当たり前ですが日本ではなくフィリピンなので
フィリピン人が多いです。

フィリピンでは我々日本人が
外国人であり、外からきた人種です。

そんなフィリピン人が圧倒的マジョリティ(大多数)
である環境において、

マイノリティ(少数派)として
いることがどれだけ心細いことか。

そしてそんな環境ではマイノリティ同士がいること
がどれだけ心強いことか。

正直、日本において
私はマジョリティに属していると思います。

多少の好き嫌いや傾向や抱える悩みに差はあれど、
大多数の一般人といわれる分類に所属しています。

だから、
いわゆる性別的なマイノリティの人々の
人権や発言力や高めるような、

マイノリティを認める関わり方をしよう
ということに興味がありませんでした。

ただ、今回、フィリピンにて
自分自身がマイノリティに属することではじめて

マイノリティ派が求める

「自分自身の権利」

について考えたものです。

自分が自分らしく生きていくことを認めてもらいたい

その権利とは何なのか?

それは

「自分という人間が社会において
自分らしく生存できることを認めてもらうこと」

だと思うのです。

これは私が思うことなので
合っていないかもしれません。

でも、思うに、

他人から避難されることなく、
冷たい目でみられることなく、

十人十色である
人間の価値観の一つであろう「自分自身」

というものを隠すことなく、
当然のように表に出しながら
生きていけること、

それが望みなのだと思うのです。

大きなことを求めているのではなく、
当たり前のことを求めているだけなのです。

でも、そんな当然で些細なことであっても、

例えば性に関す多様性をすぐに認めてもらうことは難しく、
(男女という性別で成り立っている制度も多いため)

それを感じることができないのが
マイノリティの辛さなのではないでしょうか。

たとえ一瞬の感情であってもいつの日かカタチになるときがある

私がマイノリティを感じるのは
今の一瞬だけであって

おそらくもう一日もすれば
慣れてくると思います。

でも、たとえ一時だけであっても
その瞬間に感じたことは私にとっての真実であるので

この時感じた感情は自分の本心として
大事にしたいと思います。

そしていつの日か
私のサポートによって支えになることができる
ような時があるならば、

この気持ちを行動として
立ち上がっていきたいと思うのです。

それが気がついた者に課せられた課題だと思うのです。

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