1216道 「平凡な人生」でもかまわないって本当??

平凡な人生でいいの?

みなさんの日常は
刺激に富んだ毎日でしょうか?

それとも毎日が同じ
平凡な毎日でしょうか?

どちらの人生を過ごしたいでしょうか?

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あなたにとっての「平凡な人生」とは

人によって

「平凡な人生」

の定義は違うものです。

多くの社会人は、
自宅と職場の往復が基本であるかと思います。

そこに
+αで近所のスーパー、コンビニなどが

加わる程度かと。

基本的には上記のようなルーチンが
平凡な毎日をいわれるものです。

そんな毎日が続くことが

「平凡な人生」

となります。

でも、上記のような平凡な毎日を幸せとする人も
いるものです。

代表的な例でいうと、

「幸せな家族生活」

です。

職場では仕事に集中し、やりがいを感じている。

一方で、家に帰れば
パートナーと子どもがいて、

一緒に食事したりおしゃべりするのが楽しい。

そうした充実感を味わっているならば、
家と職場の往復でも幸せな毎日といえるでしょう。

ただ、独り身であって、

会って会話する人も
基本的に同じ人ばかり。。

新しい人と会う機会も少なく
新しいことに挑戦することもない。。

そのような毎日ならば、
平凡な毎日になりそうです。

どのように生きるのかは人ぞれぞれです。

誰かに指図されることではありません。

平凡な毎日でも充実しているかもしれません。

でも、ひとつだけ言いたいことがあります。

「その平凡な毎日を振り返ったときに
後悔しませんか?

というものです。

振り返ったときに記憶がない毎日を幸せといえるだろうか

毎日が平凡であると、
過去を振り返ったときに記憶に残りません。

あの年のあの時に何をしていたのか
まったく思い出せないのです。

記憶力の問題ではありません。

思い出せる要素がないのです。

「楽しい、嬉しい、充実した」

という喜怒哀楽のイベントがないのです。

それはつまり、

「その日を生きたという証がない」

ということであり、

「生きながらに死んでいる」

のと同じとも言えるのです。

「振り返ったときに特別に思い出す要素がなくても、
その日その日が充実していればいい」

という考え方もあるでしょう。

毎日を悔いなく全力で過ごしているならば
思い出がなくとも何の問題もありません。

でも、もし振り返ったときに何の記憶も
残らない人生に恐ろしさを感じるならば、

「毎日に変化をつける」

ことをオススメします。

毎日が違う毎日を過ごす。その積み重ねでしかない

変化といってもちょっとしたことでいいのです。

・行きたいところに行く
・食べたいものを食べる
・会いたい人に会う
・やりたいことをやる
・学びたいものを学ぶ

ということでいいのです。

いろいろな体験によって感情が刺激され、
それが思い出となるのです。

喜怒哀楽に富んだ毎日となるのです。

平凡な人生を嫌うならば、

毎日同じではなく
特別な毎日の連続にしたいものですね。

悔いのない人生を過ごしたいものです。

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