<123号 自分の常識を疑う意義>

■よく
「自分がいる業界の常識は、
他の業界にとっては非常識である」

そんな話を聞くことがあります。

だから既存の観念に捉われることなく、
様々な視点から物事をみるようにしましょう
という意味だと思うのです。

■これは仕事における考え方にも
当てはまります。

「自分の常識は、お客様の非常識」

特に取引を始めたばかりのお客様に
専門用語を使っていても、
意図が伝わらないこともあるだろし、

同じ業界の方だからといって、
とある物事の捉え方は会社によって違うでしょう。

それをさも当然のように
考えていると、

丁寧ではない営業マン
という印象を持たれるかもしれません。

■はたまた、
仕事のみならず、

社会で生活するすべての人にも
当てはまることもあります。

「私の常識は、周りすべての人の非常識」

自分が正しい、
自分の考えは、他の人もそう思っている。

このような前提で物事を進めていると
いつかトラブルが起こるかもしれません。

ちょっとした言葉の使い方や愚痴等は、

自分が考えてもいなかった
捉え方をされてしまい、

関係性を悪くしてしまうかもしれません。

使う言葉の意味や場所やタイミングには
注意する必要があるのです。

■実は今日も似たような経験をしました。

私(神田)が、自転車で
横断歩道の信号待ちをしていたところ、

交通整備のおじさんが、
通学中の小学生らしき子に

「おはよう」と大きな声であいさつを
していました。

ところが、その小学生は
まったくの無反応だったのです。

私(神田)としては、

おじさんがあいさつしているのに、
あいさつを返さないなんて
けしからん子どもだ、

そう思ってしまいました。

しかし、あいさつしたおじさんは
特に気にした様子もなく、普通でした。

そこでふと思ったのです。

もしかしたらおじさんは、
「声をかけることだけ」
で満足しているのかもしれない。

それを
「挨拶をしたら、
挨拶を返さなければならない」

というのは、私(神田)が思い込んでいる
ことかもしれない。

そう気付き、そう思ったのです。

■実際に、
小学生には聞こえていなかった
だけかもしれないです。

もしかしたら、万が一に
耳が聞こえないかもしれないです。

それを、私(神田)の
価値観だけで判断してしまうのはよくない
と思うのです。

自分の「常識」だけで
決めつけてしまうのは間違っているかも
しれないのです。

反省と共に改めて気づいたことでした。

ふとしたことから

「自分の中にある
気づいていない自分だけの判断基準」

について考えてみたのです。

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