419道 「なるようになるさ」と言える心のゆとりが日常の質を決める

一休和尚の遺言

みなさんは一休さんをご存知でしょうか?

私の世代では、ちょうどアニメ放送をしており、
アニメではトンチで有名な一休さんですが、
この人は実在した人物です。

この一休さんが臨終の間際の時に残した

「一休和尚の遺言」

という話をしたいと思います。

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一休和尚の遺言

実は、京都の大徳寺に、
一休和尚の遺言状なるものが残されていました。

一休さんは、自分が死ぬ時に、弟子達に

「この遺言状は、滅多なことでは開けてはならない。

この寺が大変な窮地に陥った時に、

全員がその叡智を絞っても、

どうしても解決できなかった時に、

その時に初めて最後の手段として開けなさい。」

と言ってこの世を去ったそうです。

そして100年後。
そのお寺が大きなピンチを迎えて、
一休和尚の遺言状のことを思い出し、

固唾を呑んでこの遺言状を開くと
こう書いてありました。

「成るようになる。心配するな。」

意表をつく

真剣に物事に取り組んでいると、
そのことだけに集中し、

視野が狭くなり
その思考回路から抜け出せないものです。

そんな中、
ある種あきらめのような、
ある種無責任のような
ある種ユーモアのようにも感じられる一言で、

場の雰囲気を変えることの重要性は
誰しもがわかっていることではないでしょうか?

きっと一休和尚の遺言状を読んだ人たちは、

一瞬静寂し、もう一度内容を確認し、
唖然とし、そして笑いの渦へとなっていった
のではないでしょうか?

成るようになる。心配するな。

不透明な未来やこの先どうなるかわからない
状況では、不安で胸がいっぱいになることも
あるでしょう。

ただ、どんなに心配しても、
逆にどんなに備えていても、

何が起こるかわからないのが
この世です。

ならば、
自分にできることをしっかりとやったあとは、
流れに身を任せてみるのもいいと思います。

「何とかなるさ」と

気楽に構えてみる

「ゆとり」こそが

解決の糸口かもしれません。

日常がそんな「ゆとり」で満ちていればどんなによいことでしょうか。

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