451道 誰でも普通に行うコミュニケーションにもレベル差があるという事実

実はここ数日、私の周りで、

「意思疎通ができてないゆえのトラブル」

というものが発生しています。

ひとつは退職に関する会社側と社員のトラブル。

もう一つは上司と部下とのトラブル。

私からみると
この両方のトラブルの原因が

「コミュニケーション」

にあると思うのです。

というのも、
お互いにしっかりとコミュニケーションが
取れていないがゆえに、

互いの思っていることが共有できず、

それはつまり
相互の意思確認ができていないということで、

それによってさまざまなトラブルが
派生的に発生していると思うのです。

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コミュニケーションって難しいの?

率直に思うのは、

「しっかりと話をすればわかるのに・・・」

というものです。

ただ、私には当然のようにできる
コミュニケーションですが、

人によっては
それが難しいということもあるのです。

ここ数日で同じような意思疎通ができていない
事例を見ていなかったら、

コミュニケーションについて考えることは
なかったかと思います。

なぜなら自分には当たり前にできることだから。

それが、こうもできない人がいる
ということを目の当たりにし、
改めて考えてしまうのです。

これは自分の

「特技」

かもしれないと。

自分には当たり前にできるけど、
他の人はそうではないこと。

これが特技なのです。

当たり前に行われているコミュニケーションだからこそ 不具合があることに気が付かない

まったく会話をしないという人はいないので、
一見すると誰でも円滑にコミュニケーションが
できるように思ってしまいます。

ただ、

「日常生活を過ごす上での会話」、
「会社でのルーチン業務をこなすだけの会話」

は円滑にできるかもしれませんが、

「よりお互いを知るための会話」
「目標とヴィジョンを共有するための会話
「価値観をシェアするような会話」
については一歩引いてしまうのかも
しれません。

何を話たらよいのかわからなくなってしまう人が
多いのかもしれません。

コミュニケーションというのが
日常生活において当たり前になりすぎていて、

そもそもコミュニケーションが得意、不得意って
何を基準に判断するのか?

という疑問もありますが、

コミュニケーションが得意、苦手だと
まず考えることがないのかもしれませんね。

コミュニケーション不足を
相手の性格の問題にしていませんか?

だからこそ、上司や部下や同僚と
うまくいかない理由が

コミュニケーションによるものだと
思い浮かばないのかもしれません。

「相手が聞く耳を持たない」
「話をしても理解してくれない」
「どうせ話をしても無駄だ」
「うまく伝わらない」

と相手の性格のせいにしてしまいがちですが、

実は互いにコミュニケーションをしようと
していないのかもしれません。

コミュニケーションとは
単なる意見の伝えあいではなく、

互いに共感しあい、理解しあう
プロセスだということをわかっていない
のかもしれません。

そう考えると
コミュニケーションって奥が深いのかもしれません。

ふとそう思ったのです。

自分が提供できる価値

と、同時に、私にしかできない
コミュニケーションの仲介というものも
あるのかなぁと

改めて自分が持つ価値というものを考えます。

一対一の対話はもちろんのこと、

複数人の中間に入って、お互いが考えていることを
通訳する(もちろん日本語ですよ)

そして本当にお互いの意思を共有する
お手伝いできるのも、私の価値なのです。

それを多くの人に伝えたいと思うのです。

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